遠山金四郎、人気者となった理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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水戸黄門と並んで時代劇の人気作品シリーズといえば、遠山の金さん

でしょう。この人も、桜吹雪の入れ墨をしていたとか、遊び人に化けて

庶民の間に入り込んでいたという、史実とは違った大いなるアレンジが

なされている点も、共通項ですね。


ただ、遊び人とか入れ墨といったキャラクターが似合う、なかなか面白い、

しかもワイルドな側面も持った人だったようです。


この人が活躍したのは、主にあの石頭老中・水野忠邦の時代です。忠邦

のやった天保の改革は、松平定信の寛政の改革と並ぶとんでもない(私

の小学校時代の教科書ではほめられていましたが、時代が悪かった)

ものでした。


日本古来の美徳は、自由、おおらか、ユーモアです。ハチャメチャやって

いても、最終的には平和でバランスも教養も保たれている。そんな、不思議

な民族だったのです。


しかし、水野忠邦は、春画本や洒落本の類から、見世物小屋は勿論、芝居

小屋までを、風紀が乱れるからといって取り締まろうとしたのです。エロ、

ユーモア、そして大衆芸能までを消し去ろうとした、ノーセンスな老中でした。


これに真っ向から反対していたのが、北町奉行遠山金四郎だったのです。

彼は、一度は抑圧を緩めることに成功していますが、その後一度左遷され

ています。


これは、当時南町奉行だった鳥居耀蔵の策略もありました。この人は、忠邦

と同じ堅物推進派で、ごますり男でもありました。当然、取り締まりも厳しく

陰湿。庶民に嫌われていました。彼が忠邦をそそのかして、金四郎を失脚

させたのです。


しかし、遠山金四郎のすごいのは、単なる正義漢ではないところです。彼は、

閑職である大目付にいる間、暇なのを利用して鳥居耀蔵のスキャンダルを

徹底的に収集。水野忠邦に密告しながらすり寄りました。そして、気持ちを

改め、改革推進派への転向を宣言したのです。


忠邦はそれに乗り、鳥居耀蔵は失脚。遠山金四郎は、今度は南町奉行とし

て復活したのです。


そうなったらもうこっちのものとばかり、金四郎はあっさり元の姿に戻ります。

つまり、忠邦の前で見せたのは、全て芝居だったのでした。


庶民は、遠山金四郎の復活を喜び、改革(悪)反対の気運は、再び盛り上が

ります。金四郎もそうした声をバックに忠邦に反発。そして今度は、鳥居耀蔵

という陰湿な策士は敵にいません。


結局彼は、水野忠邦を失脚させることにも成功したのです。なかなかの政治家

でもありました。


遠山金四郎が芝居の世界でヒーローとして描かれるのは、必然性があります。

そのキャラクターもありますが、何より芝居小屋をはじめとする江戸の芸能を

守った立役者なのですから。役者、スタッフ、そしてそのファンにしてみれば、

大恩人なのです。ヒーローものとして扱われるのは、当然でしょう。


また、鳥居耀蔵という敵役が存在したことも、ドラマとして描きやすかったでしょ

うし、更に、金四郎自身が忠邦の前で見事な役者ぶりを発揮したことは、本物

の役者たちの心をくすぐったと、私は思うのです。一応私も役者なので、金四郎

の策士ぶりにはそそられるものがあります。