足利義政・軟弱道のルーツはくじ引き将軍と性教育乳母 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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昨年12月の1、8、15日の3回ほど、日野富子と足利義政夫婦に

ついて書かせてもらいましたが、あの時は日野富子の方に主に焦点

を当てさせてもらいました。


しかし足利義政という人も、面白すぎる人なので、もう一度少し触れ

させて頂きたいと思います。


愚か者も、その愚かさにしがみついていると、やがて賢くなる。


そんな名言があるそうです。これは、本来なら欠点とか弱点に見られ

るようなことでも、それを徹底させて、極めてしまえば、長所や武器

に変わる。という意味に、私は解釈いたしました。


足利義政という人、武力は駄目。政治も駄目。リーダーシップは取れ

ない。金は妻の日野富子に握られ、ないも同然。優柔不断を絵に書い

たような、世紀の軟弱男です。しかしその軟弱を逆手に取ったような

「金がない。女房が恐い。気を許せる友達がいない」という口説き方

で、40数人の側室をゲットしています。


先の名言の主の方は異論を唱えるかもしれませんが、これも愚かさ

にしがみついた結果なのではないかと思うのです。軟弱もここまで

徹底させれば、芸術の域。「軟弱道」を極めた達人です。


ただ、彼が軟弱道を歩むに当たっては、ちゃんとした背景、ルーツが

あったのです。今日は、そこに触れさせて下さい。


室町将軍・足利家というのは、長男以外の男子は全て仏門に入るとい

う、変わった掟がありました。義政のちち義教も、4男だったため、僧籍

におりました。しかし、4代将軍で義教の兄の義持が急死。彼には子供

が死別していなかったため、弟が後を継がねばなりません。


一般的に考えれば、「自動的に次男が継げば」ってなことになりそうで

すが、何故か足利家では、長男以外は平等というのがこれまた掟だっ

たのです。


義教には、4人の弟がおりました。その中から将軍を決めなくてはいけ

ません。どのように決めたか。まともに考えれば、選挙か何かと思えそ

うですが、行われたのは何とくじ引きでした。そして選ばれたというか、

引き当てたのが、義政の父・義教だったのです。


そんな形で将軍職についた義教ですから、内心バカにする人間も多く、

義教自身もそれを感じていました。そのため、被害妄想的になって、短気

を起こすこともしばしば。また、将軍家の勢力を少しでも後々まで残すた

め、長男の義勝に英才教育を施します。


しかしその義勝、義教の死後幼くして即位しますが、まもなく赤痢で死ん

しまいます。そこで、すでに僧籍に入っていた義政が、呼び戻されるので

した。他に、兄弟は、おりません。


義政は、幼心にそんな大人たちのごたごたを見て嫌気がさしていました

し、気楽に仏門の道を、と思っていたところに寝耳に水といったところで

すが、逆に周囲の期待は彼に集中します。


何せくじ引き将軍の次は、10歳にして夭折。いくら弱体将軍家とはいえ、

今度こそはまともな将軍を。というわけです。そこで、満を持して、家庭

教師兼乳母が送り込まれます。今参局という女性でした。


「いままいりのつぼね」と読むこの女性、確かに頭も良かったのですが、

義政と10歳ほどしか違わず、しかも美人で野心家でもありました。そん

な彼女が学問と同じくらい力を入れたのが、「性教育」です。8歳の義政

に、性の手ほどきをしたのでした。


「便利なものを、若はお持ちですね。まいりにはありませぬ。ですから、

将軍にはなれませぬの。若は、大事にせねばなりませぬことよ」


なんてことを言っては、それこそ大事にしてしまったわけです。そうやって、

次期将軍を自分に徹底的に傾倒させることで、自分が裏で権力を振るう

ことを考えたのでした。


一度で終わらせたかったこの話ですが、やはり終わりません。続きは近々

ということで。それでは皆様、良い一日を。