徒然草と、作者吉田兼好の生き方の猛烈なギャップ | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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枕草子と並ぶ随筆文学の名作として名高いのが、徒然草です。作者の

吉田兼好は、後二条天皇に仕えておりました。今でいうと、高級官僚と

いうところでしょうか。


しかし30歳にして出家し、世俗を捨てた隠者、要するに世捨て人になっ

た。ということになっております。


「四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから、忍びてあらんは、

如何はせん。ことに打出でて、男女の事、人の上をも言い戯ぶるること

こそ、似げなく、見苦しけれ」


そんな記述が、出て来ます。40歳を過ぎたら年取ってみっともなくなる

のだから、男女の恋愛なんてみっともない。若い人に混じって冗談を言っ

てふざけるのも、見苦しい。という意味。アンチエイジングを否定してい

るわけです。


それどころか、揚句の果てには、死ぬ基準も四十くらいに置いとくのが

良いなんていうようなことも言いだしております。ただしこの吉田兼好、

没年が定かでないのですが、少なくとも70年以上生きたことは確かです。

また、男女の恋愛はみっともないと言っておりますが、四十を過ぎて稚児

趣味、少年愛に精を出していたことが、確認されているようです。


また、世捨て人を気取って、カスミを食って生きていたような書き方をし

ていますが、この人、ちゃっかり不動産ビジネスをやっています。質の良い

田んぼを買い、転売する。現代でいう土地転がしという奴です。これで儲け

ておりますので、かなりリッチでした。


文才と商才は伴わないのが通常のように言われていますが、この人は、ま

るで違ったようです。

それにしても、著作の徒然草とは全く裏腹な自分自身の生き方。元高級官僚。

言行不一致は昔も今も一緒。と言いたいところですが、ただ兼好自身、この

徒然草は、ほんの洒落のつもりだったのかもしれません。


今のように、名作を書いたところで印税でガッポリ潤うわけではないですし、

ベストセラーといってもせいぜい千部といったところだったようで、しかも作者

自身がテレビのインタビューを受けて有名人になり、週刊誌やワイドショーが

私生活を取材する、なんてことは考えられない時代なのです。


だから、徒然草も、ほんの趣味の世界、風流の一環として書いたことは、間違

いありません。この作品が後世まで語り継がれるなんて、思ってもみなかった

はずで、21世紀の現代でも話題になっている状況を、あの世で見ている兼好

当人が誰より驚いていることでしょう。


「印税くれるんだったら、俺だって不動産ビジネスなんてしなかったよ」


そんな声が、聞こえてきそうです。