パパラッチの元祖はエジソンでした | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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発明王エジソンですが、1000回の失敗について言われた時、「失敗は

していない。うまくいかない方法を1000回発明しただけだ」と答えるなど、

なかなか弁も達者で、文系のセンスも感じさせます。


また、超能力や目に見えない世界を信じていて、霊界と交信するラジオ

の発明に、晩年は力を注いでいたのは知られた話ですが、超能力の真実

を証明するために公開実験を行うなど、ショーマンシップもあり、決して

商売下手な学者肌というわけではなく、むしろ気を引くのが上手だった

と思われます。


彼のそんな側面は、14歳の時にすでに表れていました。


1847年、オハイオ州のミランという町に生まれたエジソンは、小学校に

入った後すぐに登校拒否になって、半年で退学します。その後、教師をし

ていた母親に勉強を教わりながら、汽車で売り子をして家計を助けていま

した。


そうしてやがて14歳になったエジソンが始めたこと。それは、新聞の発行

と販売です。最初は、社会事件を扱ったニュースを書いていましたが、途中

から、ゴシップ紙に鞍替えしました。その方が売れるからです。エジソンは、

自ら編集長をしていました。


自分の周囲の人間のゴシップを面白おかしく書き立てて、定期購読者が

500人以上いたそうです。汽車の中だけという狭い範囲で、しかもテレビ

など、宣伝する媒体がない中での定期購読者500人以上というのは、か

なりの数字といって良いでしょう。


この新聞、ネタのあげられた当人からけんかを売られたために、長くは続か

なかったそうです。

まあ、それにしても、商売人で、したたかで、それに社交性もこうしてみると

ないわけではありません。何故登校拒否になったのでしょうね。


友達ができなかったとか、いじめられたからといった理由ではないでしょう。

単に型にはめられるのが嫌だったとか、先生の言うことが馬鹿らしかったと

か、そんな理由だと思われます。


いずれにせよ、文才もあったのですね。