戦国時代の酒対策 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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戦国時代の戦が一般に考えられているより死亡率が低いとはいえ、や

はりいつ死ぬかわからない立場にあることに、兵士たちは変わりありま

せん。従って、ともすれば刹那主義、明日のことより今日を豪快に生きて

やろう、みたいな考え方に走りがちだったことは、うかがえます。


そんな生活にピッタシなものは、何といっても酒でしょう。戦国大名の家

臣団が酒豪揃いだったことは、確かなようです。


どこの戦国大名も分国法という独自の法律を作って部下たちを統率して

いるわけですが、ほぼ全てに共通して見られるのが、「喧嘩両成敗」、つ

まり、仲間割れの禁止です。私らが学校時代に言われたような、野蛮な

生徒に言いがかりをつけられてやり返したら同罪になる。なんていうのと

は、全く違うわけでして、仲良くすることが義務だったということです。


とにかく親睦を深め、結束しなさい。とのお沙汰です。日本において親睦

の道具といえば、伝統的に酒でした。朝晩の寄り合い酒などというのも

あって、大いに勧められておりました。しかし、喧嘩が許されないのだから、

酒乱は犯罪です。酒乱の武士は格下げや処罰が待っていますから、命

がけで治す必要があります。


ただそれともう一方でつきまとうのが、アル中対策です。何しろ朝から寄り

合い酒をやることが多いのだから、依存症気味の兵士も出て来ます。


そこで、アル中対策に乗り出した武将もいました。今の茨城あたりを抑えて

いた、結城政勝です。

まず、朝から飲むのを禁止。また、夜も、大人数での宴会は禁止。飲む時

は、ツマミ3種類と汁1杯まで。酒の量も、椀に10杯まで。と制定しました。


今でも一汁三采という言葉を聞きますが、「結城家新法度」と呼ばれたこ

のしきたりから来ているようです。ただしこの一汁三采は、節約のためと

されていました。せこかったのです。


また、興味深いのは、この法があくまで身内での酒盛りに限られているこ

と。他国の人が来た時は、制限なし。いくら飲んでも、いくらぜいたくしても

構わないとされていることです。


見栄っ張りということもいえますが、一方で、他国にも同様に節制節約を

させてはならぬという意図もあったのです。だから、自分たちが節制して

アル中対策をしていることを、他国の人間に知られたくはない。もっといえ

ば、他国の兵士にアル中が続出して自分たちのみ健康的であれば、おの

ずと戦になった時にも有利。という発想が多分に働いていたのです。