子供に二次障害の症状が現れた時、親は悔やみ、自分を恥じることでしょう。
私もその一人である。
何がいけなかったのか、何でこうなってしまったのか、常に自分に問いかけていた。
しかし、ペアレントトレーニングの資料の中の言葉にわたしは救われた。
「二次障害と呼ぶものは、親や学校が発達障害の子供の本質をきちんと理解し、腹をくくって関われるようになるまでの戸惑いと迷いに満ちた時間の間に形作られるもので、それは誰のせいでもない、仕方のない時間だったのです。」
この言葉を聞いたとき、私は自分を責めることをやめた。
これは神様に与えられた時間で私たち親子にとって大切な時間だったのかもしれない。そう思えるまでにもなった。
私たち親は、発達障害であることを認め、障害について学び、
考え、悩み、この子のためになることをしたいと常日頃思っている。
そしてこの思いこそ二次障害の克服に向かって歩き始めた証。
確実にこの思いは未来へと向かって進みだしているのだから。
だから、今度こそしっかり子供の手を握り締めて一歩一歩、歩んでいきたい。