「いらっしゃいませ。何名様ですか?――はい、では只今お席にご案内いたします。こちらへどうぞ」
あの日、色んなものを諦めて一度は手放したこの場所。いつか必ず再開するからと誓ったその場所に、俺は今立っている。お前と二人で。
もう一度自分自身の力で開店してみせると決めたあの日から、いつも隣でお前が支えててくれた。今ここに立っていたられるのは、決して俺一人の力じゃない。いつだってお前が傍で笑ってくれていたから、俺はここまで頑張れた。そして、これからも頑張っていける。
けど、どうしてだろうな。こうして同じ店で一緒に働くようになって、誰よりも長い時間を共に過ごしているのに、あの頃みたいに二人きりで過ごせる時間は愕然とするほど減ってしまっていて。けど、俺は相変わらず目前の店の事しか見えてないから、お前がどんな風にそれを思っているのかとか、気遣ってやる余裕が全然なかったんだ。
その事に気が付いたのは数日前の閉店後。いつになく遠慮がちに次の定休日の予定を聞いてきたお前の、少し寂しそうな表情だった。
「あー…、悪い。その日は――」
自分が主体となって店を切り盛りするようになって、初めて気が付いた。決して広くない店内だけど、ここは俺の城で、生活の糧を得るための場所。客足を途切れさせないためにやらなきゃいけない事は星の数ほどあるのに、それに費やせる時間がいかに少ないか。今は既に隠居の身となったじいちゃんに助言を伺いに行くこともしばしばだ。
やらなきゃいけない事があるから、と言いかけるとお前は慌てて両手をブンブンと振ってそれをさえぎった。
「あ、いいのいいの!大した用ってわけじゃないし!何でもないから、気にしないで?」
「でも」
「ホントに大したことじゃなかったし!もし時間があったら、て思っただけだから。じゃ、お疲れ様でした!」
と、逃げるように店を後にしたお前の背中を見送りながら、そう言えばここ最近休みの日にお前とゆっくり過ごした事があっただろうかと自分に問いかけていた。
開店して1ヶ月は物珍しさでお客が来る。けど、物珍しいのは最初のうちだけ。その間にどれくらいの客足を掴めるか。そして掴んだ客足を逃がさないためにはどうすればいいか。
狙う客層は?元々じいちゃんがやってた店だ、じいちゃんの知り合いも時々顔を出してくれる。再オープンを決めた時に一番喜んでくれたのもじいちゃんがやってた頃からの常連さんたちだった。
「誰でも気軽に入れるような、くつろげるようなお店にしたいね」
「でも、あんまり騒がしいお客さんは困っちゃうかな」
「瑛くんの淹れたコーヒーを色んな人に飲んでもらいたいね」
喫茶珊瑚礁を再開する、そう決めた時に何の迷いもなく手伝うと言ってくれたお前。俺の眼の届かない場所まで細やかに気遣ってくれて、お陰で客足も何とか安定している。
総一郎さんの孫はいつあの子を嫁に貰うんだ、と時折足を運んでくれるじいちゃんの友達が俺の顔を見るたびにコッソリとそんな事を言うけれど。もう少し、あと少し。店の経営がホントに大丈夫と自信が付いたなら。
「そんな事を言ってたら、いつまでたってもあの子にプロポーズは無理だな」
「ちょ、じいちゃん!」
「わしがやってた時だって、大丈夫なんて自信が湧いた事なんて一度もなかったさ。けど、自信が無い時こそ本当に手を取り合って頑張れるパートナーが必要なんじゃないか?」
定休日、1人で次シーズンに向けての新メニューを考えている時にフラリとやってきたじいちゃんがそう言って笑った。さすがに前経営者の言葉は重みがある。だけど…。
「そうこう言って悩んでるうちに、あの子を誰かに横から掻っ攫われたりしないようにな」
胸に刺さる、じいちゃんの一言。いつも横で笑ってくれているから、安心しきっていたけれど。こうして離れている今、お前はどこで何をしている?明日もまた、いつもと変わらず俺の隣で笑ってくれている?
胸の内に広がった不安が、俺の手を携帯電話へ伸ばさせていた。
「そんなん一緒に選びに行ったらええやん。あんたら、付き合いだしてもう何年になるん?昨日今日付き合いだした高校生とちゃうんやから、彼氏の誕プレ一緒に買いに行くいうのもアリやと思うで?」
久し振りに遊びに行った友人宅で、呆れたように彼女はそう言った。
「う…、そうかな?」
「そうやで。付き合いだして間もない頃やったら、ビックリさしたろー言うのもええけどな。もう何年も一緒におるんやし、お互い社会人になってるんやし、一番気に入るもんあげたいやん」
まあビックリさせたい言うあんたのオトメ心も分からん事もないけどな、と高校時代から変わらない関西弁で友人はカラカラと笑った。うーん、と煮え切らない様子の私に友人は結局はあんたが決めることやけどな、と付け足して目立ち始めたお腹をさすった。
「はるひ、お腹だいぶ目立ってきたね」
「ん?そうやろそうやろ。これからどんどん暑くなると思ったらちょっと億劫やけどなぁ」
そう言いながらも友人の顔は穏やかで。ああ、だんだんと母親の顔になってきたなと思う。
「そういや、あんたらは結婚話とか出てないん?」
「え?…うーん、まだ店の方が安定してないしねぇ」
「あたしらより、あんたらの方が絶対先やと思ってたんやけどなー。案外王子も踏ん切り悪いなぁ」
お互い高校時代からの付き合いなので、そのあたりの事情は筒抜けだし遠慮もない。思わず苦笑を浮かべて出されていた紅茶をすすった。
はるひの言ってた事ももっともだと思ったので、次の定休日あたりと思い彼に声を掛けてみたけれど。そう言えば、開店準備をしてた頃から休みの日もずっと店の用事で忙しそうだったと思い出す。
高校時代から何かと忙しそうだった彼。夢を追いかけ続けている姿が好きで、それを支えたいと思ったのは私。だから、夢をかなえた今もそれを維持するために奔走する彼を支えたい。私の出来る事なんて少ないけれど、少しでも支えになれればいいと思う。
だからプライベートで一緒に居られる時間が少なくなってしまった今でも、現状を不満に思う事はない、と思う。
「何にしようかな…」
ショーウィンドウを覗き込みながら小さく独りごちる。彼の店を手伝うようになって、仕事中はずっと一緒にいるので改まってプレゼントとなると何だか照れ臭いし、お互い大人なので何を送っても喜んでもらえるとは分かっていてもいいものを送ってあげたいと思う。
はるひの計画通りに運んでいたなら、こんなに悩む事も無かったのかなぁと思いつつ、今もきっと一人で仕事をしているだろう彼を想う。人一倍かっこつけで努力家で、少々口は悪いけど優しい彼。送るなら、いつも身につけられるものの方が良いかな。こうして離れている間でも、少しでも私の存在を感じてもらえるように。
この間の様子からすると、きっと今日が自分の誕生日だなんてすっかり忘れてる。彼が今一番必要なものを一緒に選んで、ついでに久し振りにデートしたかったな、なんてちょっと未練がましい事を考えつつ。これ位のサプライズは許されるかな。
私たちの思い出の象徴と言っても過言ではない灯台のすぐそばの、小さな喫茶店。石段の上に見える店内を遠目で伺うと、やはり電気が付いていて。中に人がいる気配がする。
片手にぶら下げた紙袋の中には、散々迷って選んだ誕生日プレゼントとちょっとした差し入れ。少しは驚いてくれるかな、なんて思いながら店へと続く石段を3/4ほど登ったとき、鞄の中で携帯電話が鳴りだした。液晶画面に浮かび上がった相手先は――。
『もしもし、俺。お前、今どこ?』
「どこって……」
タイミングが良いと言うか、何と言うか…。
「珊瑚礁の、眼の前…」
『はぁ!?』
驚いたような、呆れたような声。そしてカランカランという軽やかなドアベルが鳴り響き、携帯を片手に彼が店から顔を出した。思わず私は残りの階段を駆け上がる。
「おま、何でこんな時間に…」
女一人で危ないだろ、と怒られそうだったので、慌てて持っていた紙袋を彼の鼻先へつきだした。
「これ!…やっぱり一番に直接言いたかったから」
「これって…おま…」
「瑛くん、誕生日おめでとう!」
一瞬の戸惑った顔、そしてその後のがっくりと力尽きたように肩を落とす彼。う…、もしかして私、何か外した…?
ああ、もう…。今日が誕生日なんてすっかり忘れてた。つーか、よりによってこのタイミングでこうくるか…?
いや、分かんないならいい。いいよ、中入れよ。そうだ、ついでにコーヒー淹れてくれ。ちょうどお前の淹れたコーヒーが飲みたかったんだ。そんで、これ一緒に食おう。
……電話の用件?あー、それはほら、その…。いいから、早く中に入れよ。お前のコーヒー飲みながら、ゆっくり話すから。
たぶんこれからもすごい苦労掛けると思うけど、ずっと傍にいてくれないか。
なけなしの勇気を振り絞って、すっごい緊張しながら言った言葉は「そんなの、あの日灯台でここの鍵を受け取った時から覚悟してたよ」と何をいまさらという顔であっさりと言われて。
はぁ……。だからお前には敵わない。
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やっぱり誕生祝い風は苦手な主からの瑛くんお祝いSS。
GS2一番人気の王子なのに、久々過ぎて何だか残念な仕上がりorz
でも!毎度のことながら愛は込めましたw