雲間から零れる一筋の光のごとく 2 | やさしい時間

やさしい時間

ときメモGSの妄想小説です。

ネタバレなSSもアリ。
一部限定公開もアリですのでご注意を……。


 眠たくなればその日の寝床を探し、空腹を覚えれば口に入れるものを探す。そんな生活を続けていた僕に、規則正しい習慣などあるはずもなく。
 この家に拾われてから、僕は自分がいかにヒトという枠から外れた生活を送っていたかを思い知った。


 天之橋という男に拾われてからひと月近くが過ぎた。この屋敷に来て最初の数日は、放浪生活のツケでの栄養失調と疲労で寝込んでいた。けれど、すっかり体調も良くなった今は…。
 お手伝いのトメさんを手伝ったり、仕事から帰ってきた天之橋さんの話し相手になったり。ようするに、ただの厄介者になっていた。

 いつまでもここに世話になっている訳にもいかないし、そろそろここを出よう。そう思って、ある日帰宅したこの屋敷の主にその意思を伝えた。
「確かに、いつまでも君を置いておくわけにもいかないね。しかし…ここを出て、何かあてがあるのかね?」
「それは…」
 痛い所を付かれて、僕は思わず眼を伏せる。ここを出ていけば、またあてのない流離う日々に戻るだけだ。僕には僕を受け入れてくれる場所なんてない。唯一僕を受け入れいていたあの場所には…もう、戻りたくはない。
 軽く男が溜息をついた。
「君に何らかの事情があることは、何となく察しているよ。けれど、今のままの状態で君をこの屋敷から追い出す訳にもいくまい」
「しかし…」
「そうだ。実は、私の方も困っている事があってね」
 言い淀む僕に、男はニッコリと笑った。



 僕を見つめる複数の瞳に、僕は正直たじろいでいた。興味と期待、そんな感情を隠そうともしない真っ直ぐな視線。僕は、かつて彼らと同じ年頃だった頃、こんな目をしたことがあっただろうか…?
「ええっと…若王子貴文と言います。短い間ですが、みなさんに化学を教える事になりました」
 自分でも、似つかわしくない場所に立っていると思う。まっとうに通うこともなかった高校、その教壇にまさか自分が立つことになるとは。何とも面倒なことを引きうけてしまった、と内心溜息をついた。


 あの日、男が僕に言ったこと。それは僕に高校の臨時講師をしないか、という話だった。
「実は、私の父は高校を経営していたんだ。しかし父は不慮の事故で早くに亡くなってね、それ以来その学園の経営は人に任せていたんだ。私はまだ若輩だったし、その頃は教師になったばかりでね」
 男の話の意図が見えず、僕はただ気の抜けた相槌を打っていたような気がする。
「しかし、その経営を任せていた人がそろそろ隠遁したいと言ってきたんだよ」
「はぁ…」
「私もいつまでも父の学園を人任せにしていく訳にもいかないと思っていた所でね。引き継ぎ等々も含めて、そちらに専念しようと思うのだが一つ問題があってね」
 と、男は僕の顔をじっと見つめた。
「私が父の学園を継ぐために教師を辞めるとなると、今の私の仕事の後任が必要となるのだよ」
「そうですね」
「そこで、もし君にその気があるなら君を推そうと思っているのだが、どうかね?」
 一瞬、何を言われているのかよく分からなかった。

 いつだったか、彼には少しだけかつての自分の話をしたことがある。アメリカにいた頃に、スキップばかりしたから在籍期間は短いけれど学校に通っていたこと。そしてそこで色んな資格を取ったこと。
 その時に、彼にどんな資格を取ったのか聞かれたような覚えがあった。いくつか挙げた中に、教員資格なるものが含まれていたらしい。
 この僕が、人にものを教える…?そんなことは思った事もなかった。そして、自分にそんな資格があるとも思えなかった。だから断ろうとしたんだ。けれど…。
「私の正式な後任が決まるまでの短い間だ。どうか、頼まれてくれないだろうか?」
 行き倒れていた見ず知らずの僕を拾って面倒を見てくれた人の頼みを無下に断るほど、僕はまだ人情を忘れた訳ではなかったらしい。短期間ということであれば、という条件のもとにそれを引きうけてしまった。

 長い間、ヒトと交わる事のない生活を送っていたので、僕には身なりを気にするという習慣すらなかった。それはこの屋敷でお世話になるようになっても変わる事がなく、髪は伸びっぱなし、髭もうっかりすると2~3日は剃るのを忘れてトメさんに叱られた。
 そんな僕が、臨時とはいえ人に物を教えるなど…。


 僕の心中を察するなど考えもよらない好奇心に満ちた視線の数々。キラキラと輝く瞳は純粋で、曇りがなくて。疑うことを知らない、人の醜さを知らない。愛されて守られて、大切に育てられた…子供たち。

 彼らと交流することで、僕にも何らかの得るものがあるだろうと男は言った。
 いつも何か欠落していると感じていた僕の、その『何か』が彼らと接することで少しでも埋められるのであれば…。

 僕は、ヒトになれるのだろうか…?





 新しい生活に少し慣れるまでというご好意から、もうしばらく天之橋邸にお世話になることになった。
 人との関わりを極力避けてきた僕にとって、まともに働く事はとても難しく。何度も逃げ出そうかと思った。けれど、せっかく僕をぜひにと推してくれた彼に迷惑をかける訳にもいかなくて。
 疲れ果てて帰ると、毎日必ずトメさんが笑顔で出迎えてくれた。分からない事だらけで迷っている僕に、自分も疲れているはずなのに嫌な顔一つしないで快く相談に乗ってくれる天之橋さん。

 あの時、天之橋さんに出会わなければ…。僕は今頃、どこでどうなっていたことだろう?
 彼らの優しさに触れ、見返りのない親切心に甘えて。僕はもう少しだけ、ヒトの中で生きてみようという気になったんだ。


 与えてもらった仕事にも少し慣れてきて収入も得られるようになり、僕は天之橋邸を出る事にした。職場である高校の近くの古いアパートを借り、引越しの日が近づいてきたある日の夜。。
「支度は整ったかね?」
 引越しの為の片づけをしていたら、僕が間借りしていた部屋に天之橋さんがやってきた。
「はい。元々、そんなに荷物もありませんでしたし」
「そうか。寂しくなるよ」
 そう言って、男は小さく微笑んだ。
「君もあの時に比べればずいぶんと落ち着いてきたようだから、もうあまり心配するようなことはないだろうけれどね」
 その言葉に、僕は苦笑いを浮かべる。彼と出会った頃の僕は、深い暗闇の中にいて。どちらの方角に進めばいいのかも分からなくて。ただ疲れ果てていて、全てを早く終わらせたいとそれだけを願っていた。
 でも今は…。人との交わりの中で小さな発見を見つけるたびに、僕の中で何かがわずかに揺らめいて。それをむしろ快く感じる。僕はまだ、この世界にいてもいいんだと感じさせてくれる。
 男はしばらく僕を見つめていたが、やがてニコリと朗らかな笑顔を浮かべた。
「さて、私も君に負けてはいられないな。早く『理事長』としてふさわしい人間になれるように努力をしなくては」
 と、腕組みをして少し考え込む。
「そうだな…。髪をバックにして、風格が出るように眼鏡をかけて…。そうだ、貫録を見せるために髭を生やしてみるのはどうだろう。若王子くん、どう思うかね?」
「坊ちゃんにお髭はお似合いにならないと思いますがね」
 突然、背後から厳めしい声が聞こえてきて彼は驚いたように振り返る。いつの間にか、トメさんが部屋の入口に立っていた。
 トメさんは不機嫌そうに持ってきてくれたコーヒーをがちゃんと音を立てて天之橋さんの前へ置き、ジロリと彼を見据えた。
「そもそも風格というものは内面から滲み出てくるものでしょうに。外見だけを繕ってもしようがありませんよ」
「いや、これは例えばの話で…」
「さようでございますか?でも坊ちゃんは昔から何かというと外見ばかりを気にして…」
 トメさんのお小言が始まり、うろたえた様子の天之橋さん。その狼狽ぶりが何だか可笑しくて、気付くと僕は小さくクスクスと笑っていた。


 別れの朝。僕は小さなカバンを一つ持って、天之橋邸を後にした。

「若王子くん。君はいつも笑っていなさい。そうすればきっと、もっといい事が君に訪れるはずだから。君の活躍を楽しみにしているよ」
「いつか、あんたは帰れる場所も行くあてもないようなことを言っていたけど…。帰る場所がないなら、いつか自分の手で暖かい帰る場所を作りなさい。でも、どうしようもなくなったら、いつでもここに来ればいいから。あんたの食べる分くらいなら、私がいつでも作ってあげるよ」

 最後に二人から掛けられた言葉がいつまでも胸の中で温かく響いていた。


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若かりし頃のリジチョーは髭なし・眼鏡なし・髪は降ろしてる設定でしたw
ちょっとした悪戯心です、ハイ。。

そしてこのお話はまだまだ続く…。


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