今日もバッチ博士のつづきです。
では、どうぞ。
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バッチ博士は人によって、同じ病気なのに
同じ治療法が効かないことに疑問を持っていました。
そこから、「病気自体ではなく,患者自身を扱う」
という思いに到達していました。
1928年。彼は、晩餐会に出席します。
大ホールにいる、多くの人々の
仕草や姿勢、笑い方、声などを観察していて、
幾つかのグループに分類できることに気づきます。
そしてそれが,7つのバクテリアのグループと
関連づけて考え始めまたのです。
『個性が同じグループの人は、違う病気でも、
同じアプローチによって、治療ができるのではないか?』
そこから、バッチ博士の医療活動は変化します。
訪れる患者さんの個性を精密に調べ、
12タイプに分類しました。
その指標をもとに、手持ちの薬を処方したのです。
これが,素晴らしい効果をあげます。
やがて、バクテリアの代わりになる
2つの植物を発見します。
インパチェンス(ほうせんか)
クレマチス(せんにちそう)
彼は,バクテリアにかわり、
純粋で素朴な野草に切り替える決意をします。
その思いを共に研究してきた友人達に告げます。
友人達はバクテリアノソード(治療物質)に
満足していたので驚きます。
実用性のない夢のような彼の発想は
理解されませんでした。
バッチ博士は、発見があるとすぐ発表することで、
無償で自分の知識を全ての人に与えてきました。
細菌学者としての地位もきずいていました。
そしてバクテリアの研究はまだまだ続いています。
友人達は考えを改めるよう説得します。
しかし、地位も名誉も彼には問題ではありませんでした。
病人を健康に戻すことのみが彼の願いだったのです。
かつて、仕事のために書いた論文をすべて燃やし、
注射器とワクチン瓶をすべて壊し、中身を下水に流し、
設備と診察室の家具を売却し、
そのお金だけが彼の財産となりました。
やがて,全ての時間を新しい仕事と、
野草薬の発見に注ぐため、
ロンドンを離れ、ウェールズ地方の小さな村に移りました。
ここから12種類の野草薬が誕生します。
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今日も読んでくれて、ありがとうございます。
明日は、12種類の野草薬が誕生します。
それがやがて、38種にもなり完成されます。
しかし、色々邪魔する人はあらわれるんですよね~~~!
また明日も,バッチ博士の熱い気持ちは続きますよ~~~!
昨日に引き続きバッチ博士のご紹介です。
がんに倒れたバッチ博士。続きをどうぞ。
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がんはすでに広がっていて、
せいぜい3ヶ月の命であると申し渡されました。
バッチ博士は『自分に残された時間を最大限有効に使おう』
と決意し、歩くのもやっとの状態で研究室に戻ります。
ワクチンの開発は続きます。彼はすぐに研究に没頭し、
時も忘れて働き続け、研究室の窓からもれてくる明かりは
「永遠に消えない灯」とまで言われました。
そして,3ヶ月が経った頃、バッチ博士は自分が
健康であることに気づきます。
最悪の時に立ち会った医師達はこの回復力に驚きます。
バッチ博士は、
『何かに没頭する興味と強い愛、
そして人生にはっきりした目的を持つこと』
これが、人間の幸せを決定する要因であり、
健康を取り戻すのを助けたものである。という
結論に達しました。
腸内バクテリアから開発したワクチンは
1918年インフルエンザ大流行のとき
彼が予防摂取をした野営地で
数千人の命を救ったといわれます。
彼の研究はますます知られることになり,
王立医学会報誌にも記録されました。
それでも,ワクチンすら効かない病がまだあること。
また、病名が決定し,治療が施されるまで
幾日もかかる従来の診断方法などに、
満足できずにいました。
(その間に悪化の一途をたどる患者さんがいました。)
さらにバッチ博士は努力を倍にする決意を固めます。
やがて、33才の時にホメオパシーと出合います。
ここでついに,皮下注射を必要としない、
口径(口から入れる)ワクチンを完成させます。
この時つくられた、「7大ノソード(治療物質)」は
現在でも広く使われています。
しかし、バッチ博士は、この治療物質が病気の産物である
腸内細菌であることに不満を感じていました。
もっと純粋な薬に変えたい・・・。
その7つのバクテリアの代わりになるものを、
自然界の植物から探し始めます。
がなかなか上手く行きません。
そして1928年ついに新しい仕事が始まるきっかけがやってきます。
それは,彼にとって気の進まない晩餐会でのことでした。
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今日も読んでくれてありがとう♡
明日はいよいよフラワーレメディ誕生です!!
バッチ博士の人々を癒したいという純粋な思いに感謝です。
がんに倒れたバッチ博士。続きをどうぞ。
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がんはすでに広がっていて、
せいぜい3ヶ月の命であると申し渡されました。
バッチ博士は『自分に残された時間を最大限有効に使おう』
と決意し、歩くのもやっとの状態で研究室に戻ります。
ワクチンの開発は続きます。彼はすぐに研究に没頭し、
時も忘れて働き続け、研究室の窓からもれてくる明かりは
「永遠に消えない灯」とまで言われました。
そして,3ヶ月が経った頃、バッチ博士は自分が
健康であることに気づきます。
最悪の時に立ち会った医師達はこの回復力に驚きます。
バッチ博士は、
『何かに没頭する興味と強い愛、
そして人生にはっきりした目的を持つこと』
これが、人間の幸せを決定する要因であり、
健康を取り戻すのを助けたものである。という
結論に達しました。
腸内バクテリアから開発したワクチンは
1918年インフルエンザ大流行のとき
彼が予防摂取をした野営地で
数千人の命を救ったといわれます。
彼の研究はますます知られることになり,
王立医学会報誌にも記録されました。
それでも,ワクチンすら効かない病がまだあること。
また、病名が決定し,治療が施されるまで
幾日もかかる従来の診断方法などに、
満足できずにいました。
(その間に悪化の一途をたどる患者さんがいました。)
さらにバッチ博士は努力を倍にする決意を固めます。
やがて、33才の時にホメオパシーと出合います。
ここでついに,皮下注射を必要としない、
口径(口から入れる)ワクチンを完成させます。
この時つくられた、「7大ノソード(治療物質)」は
現在でも広く使われています。
しかし、バッチ博士は、この治療物質が病気の産物である
腸内細菌であることに不満を感じていました。
もっと純粋な薬に変えたい・・・。
その7つのバクテリアの代わりになるものを、
自然界の植物から探し始めます。
がなかなか上手く行きません。
そして1928年ついに新しい仕事が始まるきっかけがやってきます。
それは,彼にとって気の進まない晩餐会でのことでした。
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今日も読んでくれてありがとう♡
明日はいよいよフラワーレメディ誕生です!!
バッチ博士の人々を癒したいという純粋な思いに感謝です。
うちで人気のフラワーレメディ。
凹んだ心を癒してくれる。優しいお花の療法。
それを作ったのがバッチ博士。
それが,どんな風にどんな思いで作られたのか。
そこには、バッチ博士のとても深くて、真剣な愛がありました。
今回はそのお話をさせてくださいね。
興味を持った方はぜひ読んでみてくださいね~。
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バッチ博士は1886年イギリスに生まれました。
直感力が鋭く,自然を愛し、生き物を愛し、
美しいものを愛する少年でした。
人であれ,野鳥であれ生き物が苦しんでいると
彼の中に強い同情の気持ちを呼び起こしたといいます。
やがて、全ての生命を癒すために、医学の道に進むことを決心します。
その学費を稼ぐために、彼は3年間父の工場で働き始めます。
そこでバッチ博士は労働者の真の姿をみます。
彼らが一番恐れているもの。
それは、「病気」だったのです。
病気になると、彼らは,失業してしまいます。
しかも、治療費という莫大な出費も伴うわけです。
だから、病気になってもそれを隠して働き続け、体を壊して
人生を台無しにする人を何人も目にしたそうです。
そんな彼らを救う道は、医学にあるのか?
それとも教会にあるのか?
バッチ博士は決断します。
「現存するあらゆる治療法を学び、医学を究めた上で
更なるものを求めるべきである。」
と考え、なんと、28才までに外科医、内科医、医学士、
理学士、開業医の学位などをとりました!
そして、医師として活動を始めます。
多忙な日々を送っていたバッチ博士。
多くの患者さんに対応するなかで、
幾つかの疑問につきあたります。
● 治療をした患者がまた再発すること。
● 人によってそれぞれ反応が違い、
同じ治療が同じ病に効くとは限らないこと。
● また、どの治療にも反応しない慢性病の存在。
● そして、医者と患者さんさえも、表面的な病状を
取り去ることばかり考えていて、もっと重要な症状を
見過ごしていること。
これらのことが、「免疫学」に関心を寄せるきっかけとなります。
やがて、どうしても治らなかった慢性病に効く
腸内細菌を発見し、ワクチンを作ります。
関節炎、リュウマチ、頭痛などの症状を
消し去ることに成功します。
ところが、その注射で摂取する方法に
患者さんの苦痛が伴うこと(当時は
針が使い回しだった。)を嫌っていました。
さらにもっと単純な方法を見つけるための研究を
進めていました。
とはいえ、研究に加え,数百人の患者さんも診ていました。
彼は絶え間なく働き続け・・・・、
やがて、バッチ博士は、がんで倒れます。
緊急手術が行われ,余命3ヶ月を宣告されます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日はここまでにさせてくださいね。
なが~~い文章を最後まで読んでくれてありがとう♡
バッチ博士の心に少しでも触れていただけたら、
うれしいです。
明日は、バッチ博士の復活とフラワーレメディへの道です。
楽しみにしててくださいね!
ではまた明日に。
凹んだ心を癒してくれる。優しいお花の療法。
それを作ったのがバッチ博士。
それが,どんな風にどんな思いで作られたのか。
そこには、バッチ博士のとても深くて、真剣な愛がありました。
今回はそのお話をさせてくださいね。
興味を持った方はぜひ読んでみてくださいね~。
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バッチ博士は1886年イギリスに生まれました。
直感力が鋭く,自然を愛し、生き物を愛し、
美しいものを愛する少年でした。
人であれ,野鳥であれ生き物が苦しんでいると
彼の中に強い同情の気持ちを呼び起こしたといいます。
やがて、全ての生命を癒すために、医学の道に進むことを決心します。
その学費を稼ぐために、彼は3年間父の工場で働き始めます。
そこでバッチ博士は労働者の真の姿をみます。
彼らが一番恐れているもの。
それは、「病気」だったのです。
病気になると、彼らは,失業してしまいます。
しかも、治療費という莫大な出費も伴うわけです。
だから、病気になってもそれを隠して働き続け、体を壊して
人生を台無しにする人を何人も目にしたそうです。
そんな彼らを救う道は、医学にあるのか?
それとも教会にあるのか?
バッチ博士は決断します。
「現存するあらゆる治療法を学び、医学を究めた上で
更なるものを求めるべきである。」
と考え、なんと、28才までに外科医、内科医、医学士、
理学士、開業医の学位などをとりました!
そして、医師として活動を始めます。
多忙な日々を送っていたバッチ博士。
多くの患者さんに対応するなかで、
幾つかの疑問につきあたります。
● 治療をした患者がまた再発すること。
● 人によってそれぞれ反応が違い、
同じ治療が同じ病に効くとは限らないこと。
● また、どの治療にも反応しない慢性病の存在。
● そして、医者と患者さんさえも、表面的な病状を
取り去ることばかり考えていて、もっと重要な症状を
見過ごしていること。
これらのことが、「免疫学」に関心を寄せるきっかけとなります。
やがて、どうしても治らなかった慢性病に効く
腸内細菌を発見し、ワクチンを作ります。
関節炎、リュウマチ、頭痛などの症状を
消し去ることに成功します。
ところが、その注射で摂取する方法に
患者さんの苦痛が伴うこと(当時は
針が使い回しだった。)を嫌っていました。
さらにもっと単純な方法を見つけるための研究を
進めていました。
とはいえ、研究に加え,数百人の患者さんも診ていました。
彼は絶え間なく働き続け・・・・、
やがて、バッチ博士は、がんで倒れます。
緊急手術が行われ,余命3ヶ月を宣告されます。
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今日はここまでにさせてくださいね。
なが~~い文章を最後まで読んでくれてありがとう♡
バッチ博士の心に少しでも触れていただけたら、
うれしいです。
明日は、バッチ博士の復活とフラワーレメディへの道です。
楽しみにしててくださいね!
ではまた明日に。