神風連の乱 (第3回 全5回)
版籍奉還により、これまで肥後藩と通称されていた細川領は新政府によって法制的に熊本藩と命名され、藩主は韶邦から弟の護久に変わって藩知事と改まり、米田虎之助参事以下の権大参・子参事もみな小楠派によって占められていた。
彼らは思いきった藩政改革をやり、本税の軽減、雑税の廃止、禄制の改革、時習館再春館の廃止などを断行し、加藤清正以来の伝統を誇る熊本城まで取り崩そうとした。
明治3年 桜園の死去を境のように、肥後勤王党が3つに分裂しはじめた。
そのひとつは新政府の開明的な諸方策を富国強兵のための現実的な対応でだと認めて、すすんで政府の官吏となった。
もうひとつは新政府の開国洋化に反対して学校党に合流したもの。
さらにもうひとつは熊本敬神党であった。亡き桜園の志を継いで、あくまでも敬神尊王、敬神攘夷の精神を貫こうというのである。
次回につづく 次回から本題です。
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