最近のオタク文化について4 ~最近のオタクは女性も多い?~ | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

一昔前のオタクといえば、ファッションセンスも絶望的に悪く、太っていて脂ぎっているか、反対に痩せて眼鏡をかけた神経質なタイプ、というイメージがほぼ固定的にあったのではないでしょうか。


そのために「キモオタ」とか、「アキバ系ファッション」とか、色々な言葉が出てきました

けれど、これも今はほとんど消えちゃいましたね。もともと、オタクというのはみんな「適当な格好」でいるだけだと思いますから、別に服装などに流行があるわけではありません。


ただ、なぜか一時期に「バンダナ」をしているオタクが多いと話題になったりはしたんですが、これもなぜそうなったのか、ネットでもよくわからなかったみたいですね。たぶん、たまたまなんじゃないでしょうか。


こうしたファッションの部分をいえば、もともとオタクは自分の趣味に没頭して、別の部分にはまるで見向きもしない、という傾向はあると思うんです。

それは何もアニメにオタクにだけ限ったことでもありません。


ボクもファッションはぜんぜんわからないもんですから、いまだに母が買って来てくれた昔のものを大体適当に着ていたりします。

それでたまにお金が入ったら、ほとんど本題につぎ込んでしまいますから、最近はもうゲームもやりませんし、たまにデジカメを持ってあちこちの神社にいく以外には趣味らしいものもありません。


後は、美味しいものを食べるのが好きなので、たまにお茶の水や高田馬場などに出て、そこで何か食べてくるくらいでしょうか。

どちらも学生街なので、安くて美味しいお店が多いんですよね。


その一方で、たぶん部屋にある買った本の値段を合わせたらもう百万円台にはとっくになっているんじゃないかと思います。

といっても、ほとんどは「積読」(山積みになっていてなかなか読まない)になっていますので、あんまりいいことでもないんですけれど。


さすがに最近は人とも会う機会も増えてきましたし、都心まで出ることもありますから、もうちょっとファッションにも気を使おうかなと考えたりもするんですけれど、やっぱりお金が入ると、まずは欲しかった本にいってしまいます。

これがもう習慣みたいなものになっているんですよね。


こういうバランスの悪さといいますか、好きなことには熱心だけれど、そうでないことの情報にはあまり感心がない、というのはオタクやマニアにはほとんど共通している要素だと思います。


それに比べますと、最近のアニメ好きのオタクはバランスがとれるタイプの人も増えてきましたからね。

友達と遊びにいったり、人と接点を持つことがほとんど「めんどくさい」ことだとは考えていないようですし、あまりにもアニメやゲームの話題ばかりという感じでもありません。


こういうのは、あんまり過去のオタクの世界にはなかったことじゃないでしょうか。

もちろんオタク同士なら、同好の士ということで話が合うとか、趣味の集まりやサークルなどの集まりは昔からありましたし、そこではかなり「深い」やり取りがされていたようです。

ですが、そうしたものはあくまで、「自分の趣味の延長」であって、「人付き合いの楽しさ」を前提にしたものではなかったように思うんです。


それがオタクは引きこもりっぽいとか、そういったイメージにもなっていたんでしょうけどね。

反対に、そうしたイメージを逆手にとって、オタクにはもともとどこか自虐的なところを楽しんでいる部分もありました。

2ちゃんねるでは、よく「お前ら」とか「オマイら」なんて言葉が使われていましたけれど、こういうオタクのイメージを直接自分たちにかけて皮肉っていたんだと思います。


案外、そうした外部との違いを、むしろ自分たちの世界に没頭することで消化するという循環があったのかも知れません。これが「プライドの高いオタク」というものを、作っていた要素なんだと思うんです。


ですから、こうした人たちの中には「最近のオタクはライトだ」という言い方をする人もいるみたいですね。

そうしたライトなオタクに対しては、よくアニメのことも知らないのに、ただ騒ぐだけ騒いでマナーも守ろうとしないから、イベントに参加しても迷惑だし、それがオタクはマナーを守らないと思われるようになっている原因なんだ、という批判もないわけじゃありません。


ただ、これも実際には最近はじまったことではなくて、ずーっと前からある議論だと思います。

どこでもそうですが、必ずニューカマーと古参組みではそれぞれの時期ごとに意識の違いが出てきますからね。

そうなるとお互いの悪いところが目に付きますし、それは「ゆとり叩き」や「団塊の世代批判」にも近い部分があるんじゃないでしょうか。

ただ、オタクのこうした変化には、ただの世代交代だけではなくて、性質が変化しているというものがあうように思います。

その理由の一つとして、最近特に若い女性のオタク層が増えてきたことは大きいのではないでしょうか。


オタクという言葉をどう考えるかもなかなか難しいんですけれど、先ほどのような「何かの趣味等にお金をバランス悪くつぎ込む人たち」としますと、オタクとはぜんぜん違うイメージのある「ファッション好き」や「ブランドマニア」というのも、ある部分では非常にオタクに近いところがあるように思うんです。


収入の大半を服ですとかブランド品につぎ込んでしまう人って、結構いるんじゃないでしょうか。


そうした理由は様々だと思いますが、色々な情報が気になり、流行のものはどうしても抑えておかないと気がすまないとか、できるだけ自分のファッションセンスを見せたいとか、そういうところはあるんでしょうし、それは方向性は違ってもオタクやマニアにより近いものはどこかあります。

オタクも、そうした自分の好きな情報の収集には余念がありませんからね。


こうしたことを考えますと、性差の問題もややあるのかも知れませんが、女性の趣味はどちらかといえば対外的な部分が強いような感じがあります。


それに比べて、男性の趣味はどこか他人にはよくわからないものですとか、骨董などでもそうですが、「何か特別な価値のあるものをわかっているから買うんだ」という感覚があるんじゃないでしょうか。

あくまで、自分が好きだから応援しているのであって、他人に理解を求めないのはアイドルやアニメのオタクでもほとんど共通している部分ですしね。

もちろん、男性だから女性だからと、それだけで割り切れるものではないですけれど、やはり男性と女性では趣味の捉え方もだいぶ変わっていると思うんです。


ですから、もともとはアニメやゲームにはまるようなのオタクには、女性が少ないという印象がありました。


もちろん、女性の中にも昔から一定数のアニメ、漫画オタクの人たちはいたんですけれど、こうした女性のオタクが表立って扱われるようなことはほとんどありませんでしたし、男性のオタク同様に女性の「オタク」もけしていいイメージはなかったと思います。



ですが、今は以前のような「BL系」や「アニメ」だけでなく、ネットゲームや動画サイトからもオタク文化に入って来る女性も多くなってきたようです。


こうした現象がいつからはじまったのかはちょっとわかりません。

ですが、そうした形で女性のオタク層が増えたことが、オタク文化の全体に与えた影響は少なからずあるのではないかと思うんです。


今から二十年近く前になってしまいますが、九十年代の中頃に「女子高生信仰」というものがありました。

というと勘違いされそうですが、別に女子高生を信仰の対象にしていた集団があったわけではありません。


ちょうど当時の女子高生たちが次々に新しいブームを生み出していったために、こういう言葉ができたんです。

例えば安室奈美恵に影響を受けた「アムラー」ですとか、今では携帯電話の台頭ですっかり姿を見なくなってしまったポケベル。プリクラやたまごっち。

こうしたものを最初に取り上げたのはほとんどが女子高生でしたから、女子高生の間でブームになったものは流行るといわれ出したんです。そのために、企業がこうしたブームをいち早く知るために、女子高生に注目しはじめたことから生まれたのがこうした「女子高生信仰」というものだったそうです。


もちろん、そんなにいい部分ばかりだったわけじゃありません。

「援助交際」なんて言葉ができたのもその頃でしたし、女子高生の文化を複合的に見て「コギャル」といったり、どちらかといえば途中からは遊んでいる女の子のイメージになっていた部分もいくらかはあったと思います。


なぜそういったブームの中心が男子高校生ではなかったのかといいますと、当時人気のあった「企業戦士YAMAZAKI」という漫画の中で、主人公山崎が。


「若い男なんて、どうせ女の子に合わせるだけですから」


と、あっさりとした言葉で済ませていましたが、これはおそらくかなり正しい分析だろうと思います。


男性は確かに、「運動」というものでは強いんです。それに、趣味や研究の世界も男性が強い分野はたくさんありますね。

しかし、「ブーム」というものになると、こちらは女性の方が圧倒的に強いと思います。

それは井戸端会議からはじまって、女性のネットワークは「口コミ」のような形で、あちこちにほぼ世代を越えて伝播していきますから、拡散力が男性に比べても優れているのかも知れません。

テレビなどでも「今○○がブーム」というのは、ほとんどが女性の間でということになっているんじゃないでしょうか。


そういう風に考えますと、今の日本ほど女性の強い時代は、おそらく世界でもあまり類がないほどだと思います。

それは女性の社会進出率が高くなったとか、女性が結婚しないでも生きていける社会になったとか、そういうことではなくて、文化、流行のほとんどにそうした女性の影響があるということなんです。


アニメを見ていても、最近ではもう「戦う女の子」がすっかり増えちゃいました。

おかげで、男性キャラクターの役割もだいぶ変わってきたように思います。


こういうのを見ていて、ふと思い出したのが小泉八雲の「蟻」という小品なんです。

この中で八雲は蟻の社会のことを細かく論じているんですが、それによりますと蟻の社会では、労働者も兵士もすべて女性(雌)の仕事だということになっているそうです。


それでは雄は何をしているのかといいますと、数もごく少ない上に、ほとんどまったく働いていないんだそうです。

しかも、戦うことに進化した一部の雌の蟻は、半女性というような形で、巨大化したくましくなり、それが同じ仲間を守っていますから、男性が戦うという仕事も蟻の世界ではありません。


では、雄の蟻の仕事は何かといいますと、それは巣の中で子孫を残すわずかな雌の伴侶になるというただそれだけで、しかも子供を作ったらさっさと死ぬことが義務付けられている世界なんだと、八雲はそう書いていました。


ですから、最近の傾向を見ていますとちょっと寒気のする部分が男性としてはあるんですが、今回はあくまでオタク文化のお話しですから、あまり脱線しないようにここで少し話しを戻しましょう。


もともと、ニコニコ動画のユーザーにも、女性は一定の割合で登録されていたといいます。

詳しいデータはありませんが、おそらく現在は四割に届くかどうかくらいではないでしょうか。


しかし、ネットはどちらかといえば男性ユーザーがやはり圧倒的に多いと思われていた世界ですから、そこにこれだけ女性が、それも若い世代が増えてきたのはちょっとして変化なのは間違いありません。


twitterでも、登録者の割合で十代、二十代では男性よりも女性の登録率が高い、というデータがありました。


http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2012/05/11/12694


こうしたことを見ますと、比較的に新しいSNSの担い手には若い女性が多くなっているという状況があり、そこからネットの情報に触れるという形で、同時にネットやオタクの文化にも触れやすくなっているという構図ができつつあるのではないでしょうか。


とはいっても、今でもアニメは男性向けに作られているものがメインで、女性向けはそれほど多くありませんし、美形キャラクターの多いものは別としても、どういうアニメが女性からも支持を得られているかなどは、まだどこも掴みかねている部分もあるように思います。

男女ともに人気のあった作品ですと、「コードギアス」などがそうだと思いますけれど、最近のアニメではちょっとまだパッと思いつきませんからね。


それでも、アニメも徐々に若い女性まで楽しめるものになってきたという変化、それがオタク文化にも影響を与えつつある側面は、今後を考える上でなかなか面白いと思います。

何より、女性が増えると雰囲気が華やかになりますしね。

もちろん、それを必ずしも歓迎しない向きもあるんですが、それはまた別のテーマになってくると思います。


ここまで、ほとんどアニメやオタクについて書いて来たんですが、ここまで来るとどうしても「社会性の変化」というものも考えなければいけないかも知れません。

それは「現代はどういう時代なのか」ということなんですが、次回はそのあたりを少し書いてみたいと思います。



今回も読んでいただき、ありがとうございました。よろしければまたお付き合いください。

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