東京の書画屋から送られてきた目録にあり買い求めた。
当地方から出た物が市場を転々として関東まで行った可能性もあるが意外と関東方面から鉄兜の真筆の出来の良いのが出る。
それは鉄兜の関係者若しくはその子孫が関東方面に多く定住しているからである。
鉄兜が建部候の招きで敬業館教授として林田に居を移し居宅は現在の林田中学校の校庭辺りにあったと言われている。
敬業館と居宅とは別に六九谷の字東市場に私塾「新塾」を開いたと言われているが、この書軸はまさにその塾が落成した時の賦を書したものである。
惜しむらくは「冠帽印」が無いことから本来は双幅であったと思われる。しかし、文章自体は書き始めから書かれているのでこの文章自体に途切れはない。
なかなか資料的な価値のある一幅です。