稲荷って怖い?信仰って怪しいの?! | 巡禮記(じゅんれいき)

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聖地先達がお届けする満たされるくらし

6/5(日)巡禮記の人気恒例遠足!

【伏見稲荷のお山】遠足ありますよー^ ^



伏見稲荷についての記事は

いっぱい書いてきたんですが

今日は根本的なところを^ ^



稲荷っていうものに

アレルギーのある方や、

「本当は。。。」といった

真相真理の正誤に囚われて

批判的になっている人も多い、稲荷信仰。



歴史の事実なんてほぼ

教えられた通りではないのと同じく



世の中は何が間違いで、何が正しいのか

そこにこだわるように仕向けられている。



信仰は、民族がこの文明の多くの知恵を

戦いに使ってきたネタでもあるし、



脅されたり、怖がらせたりして

人心コントロールをされてしまうところ。



うやむやにしたくないほど

その人を大切に扱うところなのに

うやむやになりがちで

批判が怖くなる、

間違いが怖くなるところでもある。



そして、固く、つめたく、重く

信仰、とか、神様、とか稲荷大明神という

言葉ですら、「なんか神妙なわからないもの」

「あやしいもの」というレッテルを

貼られてしまうことも多い。



または、ま反対に振れて、

想像とリアリティが混合してしまう

魂魄バラついた

思い込み劇場に酔う自己満足な世界を

生み出す現象も起きてくる。



そんな、今の時代は解釈ひとつで変わるような

なんでもあり、な世界観だからこそ

信仰と生活・暮らしを常に結ぶような先達を

していたいと思う。



信仰は宗教ではなく、

人が人として

思考を軽やかにうまく使い

身体の感覚を柔らかく使い、

心を温かくつかって暮らすための知恵。


だから、祈りは暮らしの集大成。




巡禮記では、チームで先達を

させてもらっていて、

【祈りは暮らしの集大成】というど真ん中を

ブレずにお仕事させてもらっている。



祈りは暮らしの集大成、

暮らしは祈りで創られる。



巡禮記の凡夫先達をしていて

参加してくれる普通の人たちの暮らしの

そのひとつひとつが柔らかく自由に

解けていくさまを

一緒に嬉しく体験できるのが

とてもありがたくて、また楽しくがんばれる。




伏見稲荷のお山の遠足は

長時間だけど、そんな

その人の、一人一人の普通の暮らしの信仰を

柔らかく自由にするエッセンスが1日で

ぎゅっと詰まってる遠足だと思う。


みんなほぼ一人で参加するけど

一人でいて、集まる人たちともリンクするような

面白い、一期一会の場です。

一緒にお山したい人、お待ちしてます^ ^


6/5(日) 巡禮記 恒例の人気遠足

伏見稲荷大社 お山