受験は必要か―今、何を学ぶべきか(林修先生と堀江貴文さんの見解から) | お受験ブルーズ

お受験ブルーズ

現役講師がお受験を通じて世間を眺めています。
大手塾勤務→独立→プロ家庭教師と変わって来ました。(作曲・編曲、戦国シンフォニックメタルバンド「武士メタル~Allegiance Reign~」のベーシストとしても活動しています。どっちも本気です)

 

 

101、すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 堀江貴文(教育) 文章レベル★★

 

 

 最近、この2冊の本を読みました。非常に参考にもなり、この極端に見える二人が本音のところを話しているので、思うところもありました。この堀江貴文さんの本を101タイトル目としたいと思います。

 

 「教育」や「受験」に関しては、ゆとり以降混迷していることは間違いがないと思います。中には、過度に学力を軽視した意見や道徳教育を無視したものなど、完全に偏った意見も多く、少数の人の意見だけでは教育というものを俯瞰することがいかに難しく、全体像が見えない部分があるかを物語っています。もちろん、僕がわかっているなどと不遜なことを言うつもりもありません。

 

 また、テレビに出ているような人(主にコメンテーター)は、批判しているだけ、現場から離れていて子供の実態がわかっていないのに観念的に話しているだけ、のような印象を受ける方が多く、「?」がつく方が多いです。

 

 これが、文部科学省の官僚さんなどですと、教育などを「わかっているわけがない」というのが実情でしょう。その相談役や教科書の後ろにのっている「(教科書を書いた)偉い人」を見ていても、(お年をめしていて)現場から離れて今の実情がわかってないえらいさんが多いのではないか、どういうことをすれば子供の学力があがりやすく、どういうことが意味がないのか、が「ほんとにわかってるのかな?」と疑問に思うことが多いですね。

 

 そもそも、しっかり勉強してきた人なら当然にわかること、というのがいくつかあると思うのですが、それが満たされている検定教科書はほぼありません。やはり「体系数学」や「ニュートレジャー」のような検定外のもののほうが、「わかってるな」感があります。

 

 この上記2冊を読んで面白いのは、「同じ」ような印象を受けることなのです。二人とも東大を通過していますが、その世代も出自もまた生きている世界も全く違います。それでも二人の意見はかなりの共通部分があります。僕は「真逆」があるかも、と期待して読んでいたのですが(笑)

 

 堀江さんに関しては、テレビなどで「過激に」みえる意見のせいで偏った問題のある人だろう、と決めつけてしまっている方も多いと思います。(僕もそうでした。前科者だしね)また、そのようにメディアが扱ってしまっている感もあります。

 

 ただ、両人ともやはり厳しい世界で努力をされて生きていることは間違いないと思います。その中での意見であれば、偏ったように見えていても一度は吟味してみる価値はあるし、それで客観的な「自分の」意見を持てることがこれからの時代大事かなと僕は思います。

 

 お二人の主張をまとめると以下のような感じです。

 林先生は飛び級制度をはじめとしたやや放任主義も含めたエリート用の教育の重要性を言い、ずば抜けた教科を育てていくことの重要性を解きます。その中で受験は『特権』であり、『これと決めたことができるかどうか』のよい試金石として利用すべきだと言います。

 

 堀江さんは学校とはそもそも産業革命からの近代化の流れの中でできたものであるのでもう時代にあっていないことを説き、何かに「没頭」することこそが大事であり、そのための基礎能力の養成として学校の必要性を認めつつ、好きなことや没頭できることを見つけた人間は、学校そのものが邪魔になりやすい。各人の裁量でネットの力などもフルに使って「どこにもないもの」を創る、つまり今風にいうイノベーションをどんどん起こしていけばいいしそれができるようにすべきだ、と言っています。

 

 日本の教育界はバランスのよい人材は出やすいのですが、特に理系でのずば抜けた人材、天才級の人材が出にくいのではないかと言われています。

 

 ただ、指導経験上、才能的に天才級の方はたくさんいると僕は思います。ただ、そのような子たちは、日本の教育や受験システムでは高学歴者になりにくいのが一つのポイントなのです。僕などはその点、大した才能もないのにオールラウンダーであったがために日本の入試制度に能力がマッチしやすかった部分があります。

 

 理系でも、国立のよい設備で研究しようと思うと、古文や漢文、社会の力が結構要ったりするので、数学や物理などでずば抜けた天才の方は良い大学に入りにくいのです。では海外に行けばよいのですが、今度は英語の壁が待っています。

 

 一応、その辺を考慮した制度として推薦入試というものがあります。東大でも推薦入試が始まりましたが、本来は上記のような「拾い上げられにくい」優秀な人材を確保するための制度であるべきで、私立大の推薦入試のように明らかに努力水準の低い生徒が多いのは疑問です。最近はMARCHレベルでもひどい学力の大学生が結構います。これも特に文系でその傾向が顕著なので、またしても文系に問題があるのです。

 

 私見ではありますが、日本のため、という視点から考えるならば、やはり文系の推薦枠は減らし文系で大学に行く人は「変わり者」、くらいの空気を創るべきだと思います。中学受験と違って大学受験では、すでに実態のないネームバリューだけでしか偏差値が決まらなくなっている部分が多分にあるので、そもそも大学自体ももう新設はしない方が良いと思っています。

 

 僕も、義務教育課程での留年は無しという保証を創ったうえでの飛び級制度(要は少数のずば抜けた子が学年をどんどん上がれる)、ならば日本にもあうと思うし、やってみたほうが良いと思います。サピのαにいるような子は、小学生を6年もするより4年くらいにして、どんどん上にいって、「時間的余裕」を創ってあげれば良いのかなと思います。

 

 ただ、このお二人はやや唯物主義なところがあるので僕は賛同できない部分もあります。例えば、僕は教養という意味での古文漢文は意味があると思うし、人間側の都合で勉強などで「役に立つ、立たない」のジャッジをすることは、長い目でみるとそんなに効率の良いことではないかもしれません。古代や理系がする社会の中に大きな知恵が隠れていることもあろうかと思います。

 

 また、好きなものに没頭するにも、ある程度の知力が必要です。これはやはり中学受験や受験を通じて鍛えると効率よく(ですので「やり方」が大事)盤石なものができます。堀江貴文さんは自身の恵まれた資質や立場、才覚へのありがたみへの感謝や配慮の発言がややないために、メディアに叩かれやすい側面があるのだと思います。

 ただ、その視点も今の日本には必要な方だと思いました。

 

 いつも読んでくださってありがとうございます。

 

夏のスーパーコンサル2016始めました。究極の受験セカンドオピニオンを体験してみませんか。ご希望の方はメールをください。(夏は終わりましたが、ご希望ならばまだ可能です)

 

お問い合わせいただいたメールに返信はできていますでしょうか? 迷惑メールとして処理されてしまって届いていないということがたまにあります。僕はどんな内容でも、1週間の間に必ず返信は行いますので、1週間経ってもこない方はお手数ですがもう一度しっかりタイトルなどもいれて送っていただければと思います。問題集に載っているアドレスの方にだしていただいても構いません。

 

5年生や受験学年でない方のコンサルも受け付けております。また、遠方の方も交通費さえ頂ければどこにでもいきます。(九州や群馬、栃木、大阪、奈良、兵庫、京都などもありました)

 

教え子の医学部留学生がブログをはじめました。医学部にご興味のある方はどうぞご覧になってください。医学部生のきつさや海外生活なんかの赤裸々なところがわかるかもですよ、むふふ。

こちらです。 http://ameblo.jp/harryhawk-bp/entry-11385618245.html お勉強BLOGЯanK お受験ブルーズ-ランキング1 お受験ブルーズ-ランキング2   ←たまにクリックしてもらえるとうれしいです。