僕はこの点を、教育の場でもっと強調してもよいのではないかと思っています。
なぜなら、これを意識することは、文章題をつくった人と解く人の「コミュニケーション」を意識することにつながるからです。広義の会話みたいなもんです。何を求められているか、を理解しないと問題はとけません。
これが進むと、「他人の立場」に立って物事を考えるきっかけになり、さらには「思いやり」の育成にもなるのではないかと思います。そういう意味では国語が大事です。
国語ができない子は、この「自分以外の人の立場になる」というのが非常に苦手なのです。読めない、というのもありますが、読めない→読まない→視野が狭くなる→つまらんのでさらに読まなくなる、というようなスパイラルになっています。やはり自我が強く、いわゆる「ジコチュー」と呼ばれてしまうような子が多い気はします。
まずは、漢字などをある程度しっかりやり、「読める」ようにします。これは、やはり中学受験生が有利です。
その後、「この人は何をきいているのか」をより意識するように持っていく、というのが得点力もあがりますし、相手の立場にたつ習慣を養うことにもつながるのではないでしょうか。ケアレスミスが多い子は、この点を注意するだけでもミスは減ります。
相手の立場に立てれば、大半の社会問題は起こらなくなる……だったらいいなぁと思う今日この頃です。
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