昨日もいいコメントをいただいたのでそれについて書いてみます。「東大生の器」についてです。
僕らが現場で数多くの生徒を教え、また自分でも大学受験を突破してきた経験から、「この子は東大にいけるなぁ」とわかるのかどうか、ということです。
極論から言うと分かります。もちろん、低年齢であればあるほどその可能性は大きく感じ、中学生くらいになると「もう無理だな」という子が増え始めます。
無理だなぁとはどういう点から思うかというと、基本的な処理能力に差が開きすぎてしまうのです。また、大体の子が「自分が東大なんて」と思ってしまっていてそのための努力もしないというのが本当のところでしょう。
では低学年の時にどういう子が「行ける」と思うかといいますと、簡単に言うと
・勉強が楽しめる
・集中力が高い
・負けず嫌い
このいずれかの性質を持っている子です。他に「要領がいい」というのもありますが、その性質は中学生ぐらいから大事になってきます。後天的に会得できるのでさほど大事ではありません。
さて、この3つの性質ですが、よーく考えてみると、幼稚園くらいまでは誰だってどれかにあてはまります。
集中力はスポーツや公文などで身に付けられます。「知る」「学ぶ」ということをつまらなくしているのは周りの大人や教育のシステムです。大人が勝手に子どもの可能性を削っているとも言えます。
つまりほとんどの子に対して僕は「東大にいけるな」と思っていると言えます。中学受験期になると結構顕著にこれが絞られます。中学受験の高度な勉強を学校よりも楽しいと感じている子は絶対にいけるでしょう。最後までくらいついていった粘りのある子もOKです。
でも親に「やらされているだけで文句いいながらやってるな」、と思う子は無理だと思ってしまいます。親に受験させてもらっているだけでも幸せなことに全く鈍感だからです。ジコチューとも言えます。社会などで広く世間のことを学べばそこに気付くきっかけはいくらでもあります。また、そのような自己中心的な子はこれからの時代、東大にいくべきでない、とも思ってしまいます。
また東大に行くには中高の過ごし方が全てです。どんなに才能がある子でも中学高校で手抜きで過ごすとそこそこの大学止まりになります。「絶対に東大行くんだ」「まあ俺(私)は東大だろうな」と思って、そのために動けているかどうかが一番大事ということになってきます。意志に勝るものはないです。
これらの性質はすべて高校生になってからでも会得できるものです。才能ではありません。
正しいやり方で正しく努力すれば報われるのが受験の世界です。社会に出たらそうはいきませんが……。
必死で勉強してくれるなら誰にだって東大くらい行けます。……といっておきましょうか。それが善い事なのかは別問題ですが……。
今ひとり担当している子で、いわゆる全然才能のない子がいまして、彼を東大までもっていこうかなと考えています。それは本人が行きたいというからです。
まだ中2ですがコツコツと粘り強く勉強してくれ、国語が苦手だったのですが、こないだはクラス1位になりました。中3、高1でたるみきらなければイケると思います。その子が東大に行ければ「才能は関係ない」と僕はいえるようになるでしょう。
あ、長くなったので今日はこの辺で。さちぽんさん、質問ありがとうですー。いい記事になりました。
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