コロナ禍の一時的なペットブームには。
ずっと懸念を抱いていました。
コロナ禍が。
ずっと続くわけではないのに。
まるで【暇潰しのゲーム】を買うかのように。
命である犬猫を買う(飼う)
このblogでも何回も書いているように。
犬猫を「買う"物"」として認識してしまっている、この国の間違った意識が。
コロナ禍が落ち着きつつある現在。
多くの"命"が。
無責任に手放される事態を招いているのです。
犬猫を。
到底信じ難いような些細な理由で。
いとも簡単に"命"を放棄する人達。
"生きている命""心有る命"と。
何故気付けないのか。
そういう人間を育てた。
この国の犯した(ている)罪は軽くありません。
下記の一文。
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前記事の虐待案件もそうですし。
そこまででなくても。
平気で外飼いをし、ネグレクトを虐待と思わず、何十年前の常識で犬猫を飼っている人も。
まだまだたくさん居ます。
そしてそれは。
保護団体にも言えること。
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"保護したら終わり"ではない。
保護したからには。
犬猫達が。
少しでも快適に過ごせるよう配慮すべきだし。
譲渡が難しい仔達であっても。
可能な限りの愛情を注いで。
何かあれば、当然医療にもかける。
もしも。
そんな最低限のことが出来ないほどの状態になってしまったのなら。
それはもはや。
"ただ保護しているだけの自己満足"
そう言われても仕方ありません。
劣悪な環境からレスキューした筈なのに。
保護されても尚。
劣悪な環境に置かれるのなら。
それは。
レスキューとも呼べなくなってしまう。
幸せになる為に。
幸せに生きる為に。
救われたのではなかったのかと…。
勿論。
目の前で迫られる命の選択に。
苦しくも頷かざるを得ない状況も。
少なからず有るのだと思います。
でも。
だからといって。
"生きているだけで十分"などと開き直ってしまったら。
少なくとも。
❮愛護団体❯と名乗ることは許されないのではないでしょうか?
それと同時に。
(先日の劣悪団体の記事とも被りますが)
"保護された仔達が。
少しでも幸せになって欲しい"
と寄付を寄せて下さる方々の気持ちも。
裏切ることにもなるのだと思います。
(愛護)団体さん、それぞれに。
精一杯頑張っておられることも充分承知です。
しかしながら。
極一部の団体が。
レスキューとも呼べない保護を繰り返していることも、知らぬ顔は出来ません。
とはいえ。
何より問題なのは。
本来動くべき行政の多くが。
ボランティアである愛護団体に。
丸投げしている現状こそが、責められるべきであることも。
重ねて記しておきます。
まずは一個人の意識とモラルの改革。
そして一部愛護団体の状況の改善。
何より。
変わるべき行政や変えるべき法律。
この国の犬猫達が。
本当の意味で幸せになる為には。
まだまだ多くの問題が山積しています。