この記事の後半。
冷凍庫に入れられている。
遺体の数々。
それを見た時に。
思い出してしまった。
私が20年前に勤めていたペットショップも。
同じことをしていた。
もっと言えば。
遺体専用の冷凍庫ではなく。
熱帯魚用のアカムシを保管する、その下に。
遺体を入れていた。
今考えると。
どうして。
その状況に耐えられていたのだろう。
更には途中から。
小動物(ハムスターや小鳥)は。
火葬費用が勿体無いからと。
ゴミとして捨てるようにと指示された。
排せつ物や汚れた床材と一緒に。
捨てられなければならない遺体。
さすがに耐えられなくて。
でも会社にも逆らえなくて。
泣きながら。
せめて少しでも厚く新聞紙などにくるんで。
謝りながら捨てていた。
本当に、今思えば。
どうして。
そんなことをしてまで。
ペットショップに勤めていたのだろう。
折しも。
ペットブーム最盛期で。
20万円もする犬や猫が。
次から次へと売れていった。
売れ残っても。
値段を下げ。
最終的には無料で譲渡した。
命を奪うことは、しなかった。
それだけは救いだったけど。
果たして、それも良かったのか…。
それでも。
生後間もなくして親から引き離され。
寂しくて昼も夜も泣く、あの仔達の声を。
今でも思い出すことが有る。
またせっかく買われても。
些細な理由で返品を申し出る人達も居た。
本当に、あの仔達は。
命ではなく【商品】だった。
渡す際の契約書にも。
最低限の飼育説明と必要な物が書かれているだけで。
【商品】以上の気持ちを。
与えるものでは無かった。
「こうしてあげたい」「これを伝えたい」
でも。
巨大なペットショップの。
1店員に抗う術など無かった。
何より。
まだ二十歳そこそこの私は。
あまりにも無知だった。
私が辞めた後、何年かして。
勤めていた店は無くなり。
また別のペットショップになっていた。
動物愛護を志してからは。
ペットショップに。
足を踏み入れることさえ出来なくて。
踏み入れたとしても。
途端に震えと涙が止まらなくなる。
それはきっと。
私の中の"罪"が。
まだ消えていないからなのだと。
消えることが無いからなのだと。
その度に思う。
無くさなくてはならない。
もっと多くの人が。
気づかなくてはならない。
命の売買の裏に。
悲しく残酷な現実が有るということを。
そして、それを無くすのは。
"命を買う"ことを当たり前とする。
多くの人の意識を。
変えていくことなのだと。
私にも出来ることは有る。
戦っていこう。
私にしかない。
この武器と共に。