東京新聞5/1
「こちら特報部」より


精神障害者の自立など夢物語と思われていた三十年前、札幌市の精神障害のある当事者たちが自分たちだけで、共同作業所を設立した。
全国に先駆けての挑戦で、同様の取り組みはその後、全国に広がっていった。
作業所の理念は、障害者同士が退院後の生活を地域で支え続けること。
だが、その運営には苦労も少なくなかったという。
だが、その運営には苦労も少なくなかったという。
社会の差別意識はまだ捕われてはいない。
彼らの挑戦は続いている。(白名正和)
札幌市中央区の一角、北海道大のすぐ近くに共同作業所「地域活動支援センターすみれ」がある。
幹線道路の中央分離帯を広くしたような場所に立っている。
午前十時、作業所の一日が始まる。
午前十時、作業所の一日が始まる。
男性ら九人が一つずつ手作業で段ボール箱を折り、プラスチック製の中敷を敷き詰める。
電機部品を入れる箱だ。
ある会員は「段ボールを組み立てて二十年さ」と笑う。
作業は和やかに一時間半続き、百個を組み立てて終わった。
会員が作った昼食を食べ、その後は雑談したり、畳のスペースに寝転んだりしながら、思い思いに午後四時まで過ごす。
「生活にリズムができて毎日が充奏します。友達もできるし、仕事もあるのがうれしい」とある男性会員(四八)は話す。
二十三歳から十一年入院した後で、すみれ会に来た。
「退院後はどこに行けばいいか不安だった。入って役割がないと駄
目になる。この作業所がなかったら、再び長期入院していたかもしれない」
現会員は約百人だ。
目になる。この作業所がなかったら、再び長期入院していたかもしれない」
現会員は約百人だ。
付き添いなしで外出できるものの、ストレスがかかる状況への対処が難しいとされる「精神障害者保健福祉手帳2級」と認定されている。
統合失調症を患う人が多い。
最近は投薬などで、入院せずとも生活できるようにもなった。
一カ月の賃金は平均で約三千円。
そのため、大半の人は障害年金や生活保護、親からの仕送りが生活の柱という。
「今でこそ作業所は珍しくないが、当時はどこにもなく手探りで始めた」。
運営主体のNPO法人「精神障害者回復者クラブすみれ会」理事長の宮岸真澄さん(六一)はそう振り返る。
地元出身の宮岸さんは一九八〇年ごろ、小学校の教員になって一年目に統合失調症になった。
半年間の入院後、実家に戻ると両親は宮岸さんを家に閉じ込め、誰かの訪問があると「風邪をひいたことに」と布団に宮岸さんを寝かした。
実家を出て一人暮らしを始めた。
実家を出て一人暮らしを始めた。
復職に向けて図書館で作業を手伝ったり、職業訓練校に通ったがうまくいかない。
職場では「あいつは棒を持たせると、何をするか分からない」とばかにされた。
銭湯すら、精神障害者は公衆浴場法で利用が禁止されていた。
ある日、宮岸さんは知人からすみれ会の存在を知らされた。
貸家の一室に五〜六人が集まり、将棋を指したり、おしゃべりをするだけの場所だったが「あずましいな」と感じた。
あずましいとは居心地が良いという北海道の方言だ。
通ううちに「仕事場を作ろう」という話が盛り上がり、八六年十二月に十数人で作業所を設立した。
初めて請け負ったのは、使い古したシーツから業務用の雑巾を作る仕事。
しかし、作業後に仲介してくれた人物と連絡が取れず、大量の雑巾だけが残った。
幸い、地元のガソリンスタンドに売ることができだが、代金は本来もらえるはずの六千円の半分ほどだった。
その後も運営は多難だった。
段ボールの組み立て以外に割り箸の袋詰めなどが継続的にあったが、会員に渡せる金額は少ない。
ほかで働ける人は離れ、行き場のない人だけが残った。
「会員同士の口げんかはしょっちゅうで、時に手が出ることも。仲裁に追われた。
「会員同士の口げんかはしょっちゅうで、時に手が出ることも。仲裁に追われた。
会員からの夜中の相談電話は日常茶飯事。
自宅に会員を招いて悩みを聞くこともあった」宮岸さん)
それ以上に何よりつらかったのは、自殺者だ。
それ以上に何よりつらかったのは、自殺者だ。
十数年前に五十代の男性が亡くなった。
九十代の母親と二人暮らしだったが、母親が施設に入ることにな
り、男性は自宅に引きこもった。
り、男性は自宅に引きこもった。
その数力局後、行政から男性が首をつって亡くなったことを知らされた。
ほかにも、スタッフとして運営側に回っていた女性会員が突然、自殺したこともあった。
「もっと声をかけておけばよかっだと、今も悔やんでいる」
姿を見せなくなった会員には、電話やメールをするようになった。
入院していると思われる人には手紙。
病院側が携帯電話の使用を制限することがあるが、手紙ならほぼ確実に届く。
病院側が携帯電話の使用を制限することがあるが、手紙ならほぼ確実に届く。
時には「おせっかいだ」と文句を言われる。
しかし「それでいい。助け合い泥くさいもの」と宮岸さんは語る。
「それを三十年間続けたから、現在がある」
作業所の設立には、障害者の発信力を高めたいという思いもあった。
作業所の設立には、障害者の発信力を高めたいという思いもあった。
理念は少しずつ実現されつつあると、宮岸さんは感じている。
「かつては精神障害の体験記など皆無だったが、今はみんなが書いている。
当事者が声を上げられるようになったということ」
当事者が声を上げられるようになったということ」
一方で、揺り戻しも感じているという。
その一つが昨年七月に起きた相模原事件後の議論だ。
その一つが昨年七月に起きた相模原事件後の議論だ。
事件後、精神障害者を強制的に入院させる措置入院の見直しが持ち上がっている。
「本来は、被告が抱いていた優生思想と、それが社会に広がっていることをどうにかしなければならないはずだ。
そちらにはふたをして、精神障害に問題を矯小化しようとしている」
根底には「精神障害者は病院に閉じ込めておけ」という旧来からの差別思想がある。
根底には「精神障害者は病院に閉じ込めておけ」という旧来からの差別思想がある。
厚生労働省も表向きは当事者の地域移行を掲げつつ、精神科病院の敷地内にグループホームを造る「病床転換型居住施設」という施策を打ち出している。
さらに精神障害者全体の六割を「重度かつ慢性」ととらえて、入院の継続を敷いていく方針もちらつく。
隔離以外の何物でもない。
そんな流れに、宮岸さんは憤る。
「精神障害者は病院から出て、地域で生活できる。私たちの三十年の歴史が何よりの証拠だ。罪があるとすれば、それは病院側にある。入院生活が長くなるほど、社会性が失われる。最近も約三十年間、入院している人の退院後の支援の相談が来た。もっと早く社会に出して、ともに生活していくべきだった」
すみれ会は今年三月、精神障害者への福祉を支援するNPO法人から、全国表彰された。
受賞理由の「ピアサポート」は障害者が障害者を支えることを意味する。
現在、すみれ会を先駆けとした「ピア」は全国で百以上あるといわれる。
「当事者の立場で考えられることが、障害者同士で運営することのよさ。医師でもなく、家族でもない。その分、相手のことがよく分かる。普通の支援団体では、障害者はサービスの受け手になるだけ。作業所では、自分たちがお金から仲間のことまで考える。その
結果、仲間の笑顔が見られる。人間一人一人に価値があるという社会が広まるには時間がかかるす私たちを取り巻く風潮も厳しい。そ
れでも、社会の最底辺を支える存在であり続けたい」

では、本音のコラムを

◆
という記事ですが、この問題は非常に難しい。
何が難しいか。
精神障害者と発達障害者と健常者のどこがどう違うのか。
そして、病を持つ人の100人が100人、1000人が1000人、それぞれの人たちが抱える症状が違うと思う。
十把一絡げに出来るスーパーの食料品ではない。
一人一人が抱える心はみな違うはずです。
それを理解するにはどうすればよいか。
悔しいのですが私には分からないのが実情です。