今日の東京新聞
「こちら特報部」
「フクシマの甲状腺がんを追う」
見出しで何を書かれているかお分かりでしょうから、画像を載せます。
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この記事を読み思うのは、原発事故の直接の被害者である福島県民は何をしているのだろうかと思う。
 
医療関係者や東電や政府や自治体の言うことをそのまま信じてはいないと思うが、それにしても反応が鈍い。
 
つまり、自らの強い意志と行動が無いのである。
 
実はこのことと同じような状況が、明治11年に旅をしたイサベラ・バードの日本奥地紀行を読みながら、つくづく福島の人たちの心と反応は136年経った今も何も変わっていないということを感じざるを得ない。
 
日光から今市へ行き、福島の会津へ向かう途中の村の人々の様子を述べています。
そのくだりを、チョイスして記します。
 
日本奥地紀行:イサベラ・バードNO.29
 
このおとなしい裸の子供たちや古くさい格好をした子供たちの群れを見ていると、労苦を引き継ぎ、親と同じように虫に食われ、重税にあえぐためだけに生まれ出たような彼らが、なぜかくも多数いるのか、なぜかくも「子沢山」なのか、そのわけを尋ねたくなる。
 
宿の主の小さな息子がひどい咳で苦しんでいたが、持参のクロロダインを二、三滴与えると咳はすっかりおさまった
 
するとこの治療のことが翌朝夜も明けないうちから言い触らされ、五時になる頃にはほとんどの村人が、口々にささやき、裸足の足をひきずりながら私の部屋の外に集まり、窓の障子のいくつもの穴から目を当てていた。
 
その「障子」を開けた時、私は目の前の痛々しい光景に当惑した。
 
皮膚病やしらくも、輪癬(りんせん・皮膚病)に罹った裸の子供を抱き抱えた父親や母親、ほとんど目の見えなくなった母の手をひく娘たち、ひどい腫物が外から見える男たち、蝿がたかって目をしばたたかせたり眼炎に罹ってほとんど目の閉じた子供たちからなる村人が、押し合い、へし合いしていたのである。
 
病気の人もそうでない人も、すべてがまさしく「汚らしい服装」をしていた。
 
かわしいほどに不潔で、虫がたかっていた。
 
病人は薬を求めて来たし、そうでない者は、病人を連れて来たか、冷やかしたいと思って来たかのいずれかだった。
 
私は彼らに向かって悲しげに言った。
皆さんの「ありとあらゆる病気や患い」についての知識を持ち合わせていませんし、たとえ持ち合わせているとしても、薬の余分はありません、と。
 
また、私の国では、このような皮膚の病気を治したり罹らないようにするには、お医者さんも、衣類をいつも洗濯したり皮膚をよく水で洗ったあと清潔な布で摩擦するという方法を奨めます、と。
 
136年経てば、当時のような不潔で無知でみすぼらしいような格好はしていないが、心の中と行動きだけは当時と何ら変わっていないように思う。