「遠い世界に3」
読者で作るリレー小説

<「遠い世界に2」までのあらすじ>

九州の実家へ帰った真紀は、幼馴染の保之と再会し食事を共にする。
保之はジャンヌのことを気に掛けながらも、ジャンヌの元カレの美智雄とクラス会を計画する。
ジャンヌは、高校時代の友達の清美と隣町のうたごえ喫茶「きぼう」へ行き、あらためて清美の歌のうまさに感心する。

東京の稲岡は、久しぶりに無二の親友の立山隆二と飲みに行き、4年前の稲岡の恋人が何も言わず稲岡から離れてしまったのは、彼女が外国籍であったことが原因と知らされる。
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「遠い世界に3」

酔いつぶれるほどまで飲まなかったときは、スッと酔いが覚めて頭が冴えてくることがある。しかし実際はシラフの時と比べれば間違いなく頭の回転は鈍くなっているのだが。。。。

「だけど、その理屈で言ったら外国人でも帰化して日本の国籍を取ってしまえば日本人ってことか・・・そうすれば、問題なかったのかなぁ」

「お互い本気で愛していると思っていたんだけど、やはり家族に反対されて諦めたのかなぁ」
「良くわからないな・・・美由紀はどう思っていたんだろう」

稲岡は、別れてもう4年もたっていたのに立山の話から美由紀のことを思い出してしまい、美由紀の本音を知りたいという思いが心の片隅で芽生えていた。
しかし、今さら蒸し返して美由紀を傷つけてしまうのも申し訳ないと自分に言い聞かせ、やはり思い出として心の奥にひっそりとしまっておくことにした。

コメント(3)

1970年と言う年代は、ある意味戦後を脱したことを実感し、これから更に昇って行こうとする日本の、一つの踊り場のようなときだったかも知れない。
そしてそうした中で日本人が「民族」と言うものを意識し始めたのは、それはやはり惨めな敗戦国から、日本が国家として世界的な地位を築き始めていたからに他ないだろう。

だがこうした意識は終戦直後過剰に卑下してしまった日本人に対して、相対的優位に立ったそれまでの被差別地域に対する新たな抑圧、または日本人の過剰反応となって現れてきた。
1969年に「赤い鳥」が発表した「竹田の子守唄」が1974年には放送禁止楽曲となった背景には、この歌が京都地方にあった被差別地域の歌だったからであり、こうした経緯は日本の放送業界の「面倒なもめ事に巻き込まれてはまずい」と言う被差別地域に対する過剰反応から起こったものであり、当時部落開放運動の活動者も歌っていたこの「竹田の子守唄」は、被差別地域が決して歌うことを反対していたものではなかったのである。

2010/3/4(木) 午後 9:16 [ オールドパッション ]

だが、こうした傾向はもし日本人の稲岡と、美由紀が結婚するとでもなった時は、相互に過剰な反応が起きやすい、デリケートな問題だった訳である。
また同じく1970年代初頭に封切りとなった小松左京原作「日本沈没」を見てもそうだが、この映画は地震と言う巨大災害を題材にしながら、その根底には「民族」と言うものが強く描き出されていた。
沈む日本から日本人を海外へ移住させる計画を話す、丹波哲郎扮する山本総理に対して、嶋田省吾扮する政経済界の黒幕「わたり老人」はこう言う、「このまま何もせん方がええ」、つまり国土を失う日本人は、日本と沈むのが一番良いと言わせているのである。

風見鶏と言われた中曽根康弘元総理は、日本人があたかも生粋の民族であるかの如く発言したが、基本的には日本民族は古墳時代に、その大部分が大陸から移動してきた民族とその混血人種で構成されており、こうした意味で日本民族を問うなら、これはナンセンスなのだが、少しずつ豊かになってくる日本は、ここでプライドと言うものを意識し始めたと言うことだろうか・・・。

2010/3/4(木) 午後 9:17 [ オールドパッション ]


だが、もし稲岡に本当の情熱があるなら、美由紀と駆け落ちしてでもと言う道もあったかもしれない。
しかしそれは稲岡も、美由紀も今もっているものを全て失う覚悟が必要だった。

2010/3/4(木) 午後 9:17 [ オールドパッション ]

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読者で作るリレー小説 「遠い世界に3」

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