先日学校で小学生の親を対象にした交通安全講習会があり参加してきました。


前日は夜中までTVを見ていたので「あ~寝ちゃうだろうな~」と軽い気持ちで出席したのですが、冒頭5分間ほど娘さんを死亡事故で亡くされた風見しんごさんの手記が読まれました。


マスクをつけたままポロポロ涙が止まらなくなり胸が締め付けられ、何とも言えない恐怖心とわが子の姿が重なりその後の講習も食い入るように真剣に話をきくこととなりました。


交通事故の怖さ、1日1日の時間の大切さ、子どもに安全について伝え続ける大切さ、自分自身が運転手としての危機管理、改めて本当にドンと心に響き考え学ぶ機会となりました。

 

寒くなり下を向いて身を小さくして歩く時期になりました。

朝は薄暗く、夜は日の入りが早くなり夕方には暗くなる時期になりました。


まだまだ小さい体でやんちゃな小学生。


朝いってらっしゃいと送り出すときの息子の姿をいつまでも見ていないとドキドキして、玄関で何度も何度も引き留めるようになりました。


毎日送り迎えするわけにもいかないし、どんなに注意していても巻き込まれることもある交通事故、100%防ぐことは難しいのかもしれませんが、意識が変わり気持ちが引き締まったのは確かです。

 

このような機会をいただけて私にとってすごく貴重な時間となったので、同じようにお子さんを持つ方、運転をされる方、外に出るすべての方が少し意識をするだけで変わるのではないかと思い、風見しんごさんの手記をネット上でも読めますが、以下転写させていただきました。


タイプミスがあったらすみません。

2011年に書かれたもので、これまで多くの講演会・講習会・PTA活動の中で発信されているものなので見たこと聞かれたことがある方も多いかと思いますがぜひご一読ください。

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3年前、突然襲われた交通事故についてお話します。

毎日のニュースで、交通事故という言葉を耳にしない日はありません。

これだけ交通事故が続いていると、その言葉に慣れてきてしまいがちですよね。

私もそうでした。

自分の家族に死亡事故が起こるまでは・・・。

やはりテレビのニュースを見れば、悲惨だなぁ、と思いますが、一件一件の死亡事故の現場で実際にどれだけのことが起きているのか、ということまでは目を向けてきませんでした。

そんな私の家族におこった交通事故のことを聞いてください。

 

恐ろしい交通事故、それは突然やってきます。

被害者の中に「私は今日、交通事故に遭うな」と思っている人は一人もいないでしょう。

 

そして交通事故というのは人を選んでくれません。

その人がどんなにまじめな人であろうが、どんなに幼い命であろうが、人を選んではくれません。

 

僕にも子どもが二人いました。

一人は7歳に成長しましたが、長女の方は3年前のあの日以来ずっと10歳で止まったままです。

 

その日、娘はいつもと変わらない朝を迎えました。

いつものように眠い目をこすりながら起きて、いつものようにお母さんの作った大好きなツナサンドを頬張って、いつものように「おじいちゃん寒いよ~」といいながら白いジャンパーを着せてもらい、そしていつもと変わらない笑顔で「いってきまーす」と言って家を出ました。

 

「いってきまーす」といって家を出た娘が、その5分後にはトラックの下にいたのです。

 

娘を送り出した後、私と家族は自宅にいたのですが、そこに近所の人が飛び込んできました。

「えみるちゃんが事故!えみるちゃんが事故!」


ただそれだけでしたから、まさか自分の子供が死亡事故に遭っているとは考えもしませんでした。

「きっと車に接触して、すりむいて血を流して、たぶん道路脇にへたり込んで大きな声で泣いているんだろうな」

とにかく早くいって「大丈夫だから」と言葉をかけて慰めてやらなきゃなと思いながら、妻と一緒に自宅を飛び出しました。

自宅から100m先の角を右へ50m行ったところに横断歩道があります。

「早く抱きしめてやらなきゃいけない、大丈夫だからと落ち着かせてあげなきゃいけない」そんなことを考えていました。

そして、家の先の角を右に曲がりさらにその先にある横断歩道を見ましたが、娘の姿はどこにもありません。

道路脇に泣きながらへたり込んでいる娘の姿を想像していた僕の胸に嫌な予感が走りました。

トラックに近づくと周りの人達からは「見ないほうがいい!見ないほうがいい!」といってくれましたが、

トラックの下から最初に見えたのは、ありえない形にひしゃげた娘の足でした。


周りでは多くの人達が助け出そうと動いてくださいました。

ある人は「なんで早く救急車をよばないんだ!」

またある人は「そんなジャッキしかつんでいないのか!」

更に別の人は「なんでエンジンを切らないんだ!」と、そんな騒ぎの中、今でも忘れられないのは、エンジンのかかったままのトラックの下にもぐり込んでいる娘を救い出そうとしている妻の姿です。

僕はその3トントラックを持ち上げようとしたのですが、ビクともしません。

しかし近所の人やたくさんの人たちの力でトラックが浮いたんです。

そしてトラックの下から大事な大事な娘がやっと出てきたのですが、全身血だらけでした。

 

その時残念だと思うことは、事故を起こした時の運転手の人が一番先に連絡を取ったのは、救急車を呼ぶことではなく、会社への報告であったということです。

辛いです。

 

今となっては親としていろいろと後悔することがあります。

あの朝あと5分早く学校に行かせていたら助かったんじゃないか。

「いってきまーす」のあと、孫の「ランドセルを背負った姿」を最後までみていたおじいちゃんも、何であと50mついて行ってやらなかったのか、と悔し涙を流しました。

家族は皆それぞれがいろんな後悔をしました。


その後救急車が来て、娘が乗せられ私たちも一緒に病院へ向かいました。

頭蓋骨骨折、顔の骨が砕け、肋骨が折れ、腰の骨が砕け、足の骨折など、即死状態といわれましたが、実は違うんです。

午前8時8分に事故が発生してから1時間半10歳の幼い命は生きていたんです。

若い命、夢をもった命は生きようとしていたんです。

病院の控室で待機している僕たち家族のところにお医者さんは来て言いました。

「娘さん、生きようとされていますよ。一生懸命生きようとされていますよ。」と

天国へ旅立った9時33分までの1時間半の間、10歳の命は生きようとしていたのです。

即死状態といわれた交通事故で体がどんなにボロボロでぐちゃぐちゃになっていても生きようとしていたのです。

娘が頑張った1時間半、どれだけ痛かったか、どれだけ辛かったか、どれだけ怖かったか、事故から3年経ちますが、親としてそれを考えない日は1日たりともありません。

 

9時33分に天国へ旅立ってから娘が病院を出ることができたのは検視が終わった6時を回るころでした。

その長い時間、妻は娘の手をずっと握り続けていました。

握っている間に手がどんどん硬くなっていくのがわかったそうです。

病院を出る時に抱き上げた娘の体は丸太のように硬くなっていました。

それから葬儀社の人が来られて死に化粧をするのですが、娘の姿は化粧をするにもあまりにも変わり果てていましたから、5時間かけてどうにか、ぎりぎりお友達に見てもらえる状態に化粧していただきました。


「いってきまーす」と言って家を出た娘が、我が家に無言で帰ってきたのは深夜1時をまわっていました。

玄関には、娘がその日に行くはずであった新体操教室の体操着などが入ったブルーのバッグが置かれていました

娘はきっと学校から「ただいまー」と帰ってきたらすぐに新体操のバックをもって出かけようとおもい、玄関に置いていたんでしょう。

そのバッグを娘が手に取れなかったのかと思うと、胸が張り裂けんばかりの気持ちになりました。

妻はそのバッグを1年間そのままその場所に置き続けていました。

娘がいつか取りに帰ってくるかもしれない。そんな思いで・・・。

 

その後通夜があり、お葬式がありましたが、私は現実を受け入れられませんでした。

突然すぎて、何をやってるんだろう、何をこんなに長い夢を見ているんだろうと、そう思いました。

葬儀が終わって娘は小さな壺の中に入り、変わり果てた姿になってしまいましたが、それでもまだ、交通事故は終わらないんです。


1ヶ月が経ち、遺品を返還してもらうため、妻と二人で警察署へ向かいました。

警察官の方がダンボール箱を抱え、丁寧にたたまれた娘の服やハンカチ、そして鞄や傘などを持ってきてくれました。

傘はぐちゃぐちゃに折れ曲がっていました。

革で頑丈にできているはずの赤いランドセルもズタズタに引き裂かれた状態になっていました。

どうやったら一瞬でこんな悲惨な形にランドセルを変えることができるんだろうと思うくらいひきちぎれていました。

それを見た時、あらためて交通事故の怖さをかんじずにはいられませんでした。

何より私が驚いたのは、ランドセルの中に入っていた筆箱と鉛筆です。

もちろん筆箱もつぶれていましたが、中の鉛筆は折れているのではなく、まっ平らなんです。

鉛筆が平らになってしまうなんて、いったいどれだけの圧力を受けたのだろうか、とそれを見た時は、警察署の中で泣き崩れてしまいました。

 

やがて、どうにか気持ちが落ち着きだし、なんとか普通に息が吸えるようになったころ、今度は裁判が始まります。

その裁判でまた事故の現実、悲惨な状況を一からすべてを思い出さなければなりません。

しかも裁判は、一日や数時間で終わるものではなく、本当に重たい時間が何カ月も続きます。

加害者の家族にとっても、重たい時間がずっと続くのだと思います。

辛くなるからそう考えるのはよそうと思っても、「娘は死んだんじゃない、殺されたんだ」と、やはり親としてはそう思ってしまいます。

被害者と加害者だけではく、たくさんの人達も多くの悲しみを抱えています。

娘の親友だった子は拒食症になってしまいました。

 

たった一つの死亡事故で、そこに起きる悲しみはあまりにも多すぎます。

一件の死亡事故が減ると当然一つの命が助かります。

それだけでなく、一件減るだけで、多くの人達の悲しみもなくなっていき、一件増えれば、また何十、何百という悲しみが増えています。

 

死亡事故がゼロになりますように、祈っています。

 

2011年6月19日