母との散歩。
母が急に手を取り、私の左手の薬指に、指輪をはめる。
「あんた、結婚指輪してないし、はめとき。」って。
古いデザインの一文字のダイヤのリング。
1000円均一に見えるけど、母は全部で1カラットのホンモノ、といいはる。
ありがとう。
結婚するまでは左手の薬指には、いつも指輪をしてた。
主人とは大学2年からの付き合い。
同じ弓道部だった。
2回生のとき、部から3人しか出られない全日本選手権に彼が抜擢された。
試合のまえに、
「皆中(持ち矢をすべて的に当てること)したらデートしてあげる」
といったら、ほんとに皆中しちゃった。
それがきっかけでつきあうようになった。
一人っ子の私との将来を考えて、彼は地元の兵庫県ではなく、私が両親と住む京都で採用試験を受けてくれて見事合格した。
私は企業をうけ、関西採用のつもりでいたが、首都圏勤務の辞令を受けた。
私は何事も経験と、東京で働くことに決めた。
上京する日、 彼は私を京都駅まで車で送ってくれた。
運転しながら彼の目から涙がボロボロと溢れ出した。
びっくりした。
彼の涙をみたのは、後にも先にもこの時だけだ。
事情を聞いたお義母さんから主人は、
「さゆりちゃんが東京で好きな人ができても、あんた絶対恨んだらあかんよ」と言われたそうだ。
彼の涙をみて、お義母さんの話を聞いて、私は左手の薬指に彼からもらった銀の指輪をいつもはめる事にした。
他の人に心が揺れない自信などなかったが、彼がいますマークをつけておかねば、京都で働く彼に義理がたたぬ。
当時女子寮には、2台の電話がおいてあった。
携帯電話がまだない時代。
小銭をじゃらじゃら持って、全国各地から集められた女の子たちが、列をなし、電話にしがみつき、お国言葉で泣きながら話していたが、当時はバブル。
足が浮くような、プレゼントまみれの連日の合コン嵐にのみこまれたのか、3ヶ月もしたら、電話コーナーはガラガラになった。
1年後も付き合いを続けている子は、私の他には、ただ一人だけになっていた。
2年後に結婚することになったが、彼は決して指輪をする人ではなかった。
どれだけ頼んでもしてくれない。
自分一人で結婚指輪をしてるのは、一人で契りを立てているように思えてアホらしくなった。
それから指輪は小指にするピンキーリングが専らとなった。
ひさびさにつけてみますか?薬指。
母の知らない私の指輪ストーリー。
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