あんまり観光客を見かけないアフィヨンですが、意外に見るものありました📷
街の中心には、巨大な岩山🏔がポッコリ。
これ、いつの時代もこの街のシンボルだったようで、
アフィヨンの街は、ローマ&ビザンツィン時代にはアクロニウム(=高い丘)、セルジューク朝時代にはカラヒサール(=黒き砦)……と、岩山にちなんだ地名で呼ばれていたんですね。
県名アフィヨンカラヒサールも、この旧名から。
そんな岩山の上にあるのが
アフィヨンカラヒサール要塞 Afyonkarahisar Kalesi
紀元前1350年ごろのヒッタイト時代から19世紀のオスマン朝までの長い間、要塞として使われました。
中には礼拝所の跡なんかがあるそうで、600段のかなり急な階段で上に行けるようですが?、子連れには無理💦
アフィヨンのウルジャーミー Afyon Ulu Camii
ウルジャーミーとは各都市にある大モスクのことですが、アフィヨンのは13世紀のルーム・セルジューク朝時代に建てられたものでした❣️
中は、40本の柱も、装飾彫りのされた梁もすべて木製✨
木造のモスクはトルコ全土にいくつか残ってますが、私の中で格別です。
木製モスクのトルコ最高峰はコンヤのエシレフオール・モスク👈
だって、この地震大国🇹🇷で、石造りのモスクが繰り返し倒壊してきた中、木造のモスクが700年も残ってるなんてすごいじゃないですか✨
天井に少しだけ残る彩画(↑)は、ミフラーブ(メッカの方向を示す窪み)の周囲のカリグラフィーと同じ、当時の名書家によるものだそうで、当時のまま残っていました✨
このモスクを建てたのは、ルーム・セルジュークの宰相だった、サーヒブ・アタSahib Ataの息子たち。
サーヒブ・アタと言えば❗️
コンヤやスィヴァスにめちゃくちゃ素敵すぎる建造物の数々✨を残してくださった御仁ですよ💕
コンヤのインジェ・ミナーレリ・メドレセとスィヴァスのギョク・メドレセ
アフィヨン周辺は彼がルーム・セルジューク朝から与えられた領地だったので、長い間「カラヒサール・サーヒブ Karahisâr-ı Sâhib」と、彼の官名をつけた地名で呼ばれていました。
彼の息子たちはその所領を持って、セルジューク王家から独立し、サーヒブ・アタ君侯国 Sahib Ataoğluları beyliğiを打ち立てました。そんな時期に建てられたモスクです。
コンヤでは、そんなサーヒブ・アタと息子たちのお墓にも詣でました。
モスク周辺は、カラフルな伝統家屋街Tarihi Konaklarが広がってました
色はカラフルだけど、形はトルコの伝統様式な家が、大通りから横道まで広い範囲にひたすら続いてるんです❣️ちょっと見たことない規模。
どこもかしこも可愛くて、写真撮りまくり❗️
ビビッドなのは最近リストアされたものですが、廃墟も青やピンクの色をしていたので、このあたりは昔から家をカラフルにする風習だったんでしょうね
ムスリ・モスク Misri Camii
タイルの先生に「セルジューク時代のタイルがあるよ❗️」と教えて頂かなければ、スルーしていただろう、古い住宅地の中のモスク。
モスク自体は15世紀のものですが、ミフラーブはセルジューク時代に建てられたKale Mescidiという礼拝所(今は廃墟)から、17世紀ごろに取り外され、このモスクに埋め込まれたそう。
たしかにセルジュークのスタイルの、ターコイズ色が美しいモザイクタイルのミフラーブでした💕
緑色の変な照明が当たってたから、写真の色味がおかしい
さて、メヴラーナの街コンヤ👈の隣のアフィヨンも、イスラーム神秘主義が盛んだったそうで。
コンヤに次いで重要だったというメヴレヴィー教団の修行場があり、今は博物館と
スルタン・ディーヴァーニー・メヴレヴィーの霊廟モスクSultan Dîvânî Mevlevî Türbe Camiiになっています。
ドーム下の本殿は、もともとセマー(旋回舞踊)の道場だったそうで、その時の柵が残っていて、
モスクの礼拝エリアの端に、メヴラーナの6代目の孫 スルタン・ディーヴァーニーほか、スーフィーたちの棺🪦がずらずら並んでるのは、かなり異例でビックリ。
写真で見ると脇みたいですけど、実際はせせり出てる
モスクに霊廟が(隣の部屋とかに)併設されているのはよくあるけど、礼拝スペースと同じ場に棺があるのは、トルコでは初めて見たな。
以上、アフィヨンの街の観光・イスラミック編でした。
アフィヨン旅行、次のブログは「アフィヨンのうまいもん!」です💕