イスラミック街、チャルシャンバをゆく 前編 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル
 

トルコは、特にイスタンブルは、宗教的な意味でもとても多様性に富んでます。

 

「トルコは緩いイスラムだからおいでニヤニヤ

 

知ったようなこと凝視言う外国人も多いけど、私は

 

トルコには世界一緩いムスリム生ビールビキニ🐷も、

世界一敬虔なムスリム🕌👳📿も存在する

 

と思っています。

 

で、そんな特に敬虔な人たち👳‍♀️が住んでいて、イスタンブルで最も宗教色が強い🕌と有名なのが、ファーティヒのチャルシャンバ地区でございます。

 

 

 

なにしろ、道ゆく男性は頭にターバン👳‍♀️かタッケをかぶり、ジュッベと呼ばれる長衣、シャルワルというだぶだぶズボンで、顎ヒゲ。

時代劇から抜け出して来たかのような服装です。

 

バスから撮った写真なのでハッキリしてなくすみません。

 

 

女性は、トルコではチャルシャフと呼ばれる、黒いチャドル?アバーヤ?のようなもので全身を覆っている人が多いです。

なんなら、ペチェ(目以外の顔を覆う布、ニカーブ)をつけている人もいますよ。

 

全身真っ黒な女性は、他の街でもたまに見かけますが(アラブ人、イラン人じゃなくてね)

 

 

服屋さんも、男性用のターバンやジュッベ、シャルワル、女性用のチャルシャフ、ヒジャーブやロングコートを売るお店ばかり。

 

おじさんの頭上、背後の商店街に入っている店の看板が出てますが、見事なまでにチャルシャフçarşafやtesettür(ヒジャーブ&ロングコート)の文字ばかり

 

 

タッケ専門店まで!ポーン

 

タッケは、平ら・または円柱形の縁のない帽子で、アラビア語ではTaqiyah。礼拝の時に被る人はトルコでもまぁいますが、この街では日常的にかぶっています。

東南アジアや南アジア、オマーンなどでは、ムスリムが日常的に着けてる印象

 

かぎ針編みのもっと薄っぺたいタイプのタッケもあります

 

 

美容院のメニューにも「トゥルバンのセット」なんていうのが必ずあって、客層がわかりますね。

 

türbanはターバンのことだけど、ヒジャーブ女性がパーティーとかにしていく豪華なタイプのことを指します。男性用のターバンはsarıkといいます

 

 

という感じで、かなり他とは違う雰囲気の地域なんですねー。

 

オスマン帝国末期から敬虔な人たちの暮らす地域でしたが、預言者ムハムマド(saw)と同じ服装をするスンナを守るイスマイル・アァ教団 İsmailağa Cemaati の本拠地になって、ターバン族が増えたようです。

 

 

 

「教団」というと、日本語では怪しいニュアンスになりそうですが💦、別に過激でも危険でもなく、トルコに山ほどある教団の中の一つ。

 

6月に亡くなったこの教団の創始者の葬儀には、大統領や国会議員も参加したくらい、市民権を得ています。

 

棺の奥真ん中に大統領の姿

 


で、Youは何しにチャルシャンバへ?ニヒヒといえば、いろいろ面白いモスクを巡るためでした。

 

 

私の第一目的は、フェティエ・モスクFethiye Camii

 

これまた私の大好物教会からモスクに転用されたものでして……。

 

ただの教会ではなく総主教府だったことも

 

 

建物も立派だし、綺麗なモザイクも残っているんですが、ここ数年ずっと修復していたえーので行けず、今年やっと一般公開が再開したとういニュースを聞きまして。

 

写真はお借りしています

 

 

が!行ってみたら鍵がかかっていて閉鎖‼️

もう3年越しで待っているのに、一体いつ入れるんでしょうえーん

 

 

気をとりなおして、規模は小さいですが、同じく教会転用モスクの、ヒラーミ・アフメット・パシャ・モスクHirami Ahmet Paşa Camii へ。

 

ん〜、The ビザンツ教会!っていう佇まいが、なんともたまりません。

 

 

 

内部はいかにもビザンツィン時代!という感じの造りですが、モザイクなどは全く残ってなく、煉瓦がむき出し。

 

 

 

11〜12世紀のビザンツィン時代に聖ヨハネ教会として建てられ、16世紀にヒラーミ・アフメット・パシャによってモスクに転用されたそう。

 

ミナレットは残っていません。

 

あんまり調和しないプリントタイルのミフラーブとミンバルが置かれていました

 

 

ドームには、モスク化された16世紀の装飾画が、いい保存状態で残ってました。

 

 

 

まだまだチャルシャンバのモスク巡りは続きますが、長くなったので、後編↓に続きますニコニコ