だーいぶ前のことになりますが、軍事博物館Askeri Müze に行ってきました。
子供たちに、オスマン軍楽隊(=メフテル)の演奏を聴かせてみようかなーと思って。
軍楽隊は、トルコでは祝日やイベントなどによく登場するし、海外公演も行ってますが、軍事博物館では月・火以外の週5日15時から毎日公演があります!
最初に、メフテルのイメージ映像みたいのが流れるんですが、それがけっこうカッコ良かった。
で、行進しながら登場!
そういや私のホストファミリー宅の兄、昔メフテルでバイトしてました。付けヒゲ配布されるそう笑
子供たちが飽きるかもしれないから、2、3曲見たら出るようか?と思ってましたが、意外にもノリノリ🎶で観ている笑
そんなわけで結局45分くらいかな、最後まで観ることができました。
ところで、オスマン軍楽隊って、一昔前の日本ではわりと知名度があったんですよね〜。
1979年のNHKドラマ『阿修羅のごとく』で、テーマ曲に軍楽隊の「Ceddin Deden, Neslin baba」という曲が使われていたから。
私の生まれる前ですのでリアルタイムでは知りません👶
これの3分25秒あたりでCaddin Dedenが流れます!
しかし、Ceddin Dedenをはじめとして、メフテルの演奏する曲の歌詞が、オスマン語じゃなくてふつうに現代トルコ語なのはなぜ?と気になりだした私。調べた。
こんな雰囲気だったいいけど、この時に絶対こんなトルコ語話してない
メフテルは、世界で最も古い軍楽隊の一つと言われているそうです。
オスマン帝国の開祖オスマン1世が、ルーム・セルジュークの君侯になった際、贈られた楽器を使って音楽を演奏した時から始まったそうで。
主に礼拝時間の告知、戦勝や皇子の誕生・割礼などの慶事などに演奏したそう。
ある時期までは円形、のちに三日月形の隊形を取るように
そもそもテュルク民族には、それ以前から楽隊的なものが存在し、古くはオルホン碑文(8世紀)にまで遡れるとか。
オルホン碑文。古代テュルク語で、テュルク独自の文字である突厥文字で書かれています
メフメット2世がコンスタンティノープル🏰を陥落させた時も、戦場に少なくとも300人のメフテル部隊がいて、100のズルナ(チャルメラみたいな笛)と70の太鼓を鳴らし、軍隊を鼓舞していたそうです。
下の絵はもっと後のモハーチの戦いの時ですが、青丸の箇所みたいな感じで、戦場に楽団がいたんでしょうね
ヨーロッパ諸国はメフテルをならって自国に軍楽隊を整備し、モーツァルトやベートーヴェンがメフテルの音楽から影響を受けてトルコ行進曲を作ったのは有名な話。
ベートーヴェンの方がメフテルの雰囲気に近いよね。モーツァルトは「トルコ風」という原題が示すように、イメージを発展させた感じ。
メフテルはイェニチェリ(=スルタンの精鋭部隊)の一部だったのですが、19世紀にイェニチェリが討伐され解散させられた時に、彼らと運命を共にし、その際にほとんどの歴史ある楽曲の楽譜が失われたそう。
近代軍によるイェニチェリ討伐
西洋風の軍楽団が結成されるも、20世紀にナショナリズムの時代になると、再度Mehteran-ı Hakaniyeという名称で復活。その際に新たなメフテル用の曲がいくつも作られたのだとか。
ちなみにこれも1935年に解散し、1952年に軍事博物館に復活したのが現在の。
という経緯で、今メフテルが演奏する曲のほとんどが、20世紀に作られたものなんですねー。😯なんかちょっと残念〜。
伝統的なオリジナルのメフテルの曲は少しだけ残っていて、下のはスルタン・スレイマンが遠征した時に使われた曲だとか?
確かに今のメフテル曲とはちょっと雰囲気ちがいますね
下のはソースが不明なものの、「知られている最も古いメフテルの歌」だとか。歌詞はペルシア語。
やっぱり本当に古いものは、現代トルコ語で理解できる歌詞なわけないですね。
ずいぶんと軍事博物館の件から話が広がってしまいましたが💦
26年ぶり?!に改めて見た軍事博物館の展示もかなり面白かったです。
ビザンティン帝国を守るため、長いあいだ金角湾を封鎖していたあの鎖Haliç zinciri。
オスマン1世の仲間ミハルのものであった劍。この博物館で最も古い品だそうです。
モハーチの戦いで実際に使用された大太鼓。
装飾の美しい甲冑などなど、展示品はかなり多め!
ただ、入館してすぐはメフテル公演の時間に追われ、そのあとは閉館の時間に追われて、ササーっととしか見れなかったので、今度またじっくり見に来なきゃ!な博物館でした。