ボスニア旅行③ボスニアがまるでトルコな理由 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

前の記事バシュ・チャルシヤの外にも、街のあちこちにオスマン帝国時代の影響🌙を感じるサラエヴォ。

 

 

ミリャツカ川の岸辺を歩けば、オスマン時代に築かれた橋ごしに、モスクと赤い瓦屋根の家々が並んで、トルコの田舎風景とまったく同じ。

 

トルコの田舎よりは余計な看板とかなくてもっと景観が良いですが

 

 

市内の公園には、オスマン時代特有の、ターバンを乗せた墓石👳‍♀️がたくさん残っているし、

 

中央から派遣されて客死したトルコ系オスマン人たちの墓かと思ったら、そうじゃなくて現地のムスリム・ボスニア人のお墓でした。

 

 

郊外にも、こんなにも絵になるオスマン帝国時代の橋!

 

 

 

山の上には、14世紀と17世紀のオスマン帝国時代に築かれた要塞の遺構が残ります。

 

 

 

一般市民の家も、2階の一部が飛び出したトルコの特徴的な造りが、今でも普通に使われています。

 

 

 

 

古い家を博物館として公開している、スルブゾの家Svrzina kućaに行ったら、これまた完全にトルコの古民家!

 

低いソファを四隅に並べた応接間、絨毯の上にお布団を敷いた寝室!

 


 

家具は唐草模様の彫りと彩色をされた木造で、とても美しい!

 

 

 

この近くに、サブリナの家Saburina kućaという、もっと綺麗な古民家も公開されてるのですが、行った時は残念ながら閉まってましたえーん

 

コロナ禍だし、ラマダーン明けだし、仕方ないですね

 

 

さらにもっと素晴らしいのがサラエヴォ国立博物館に展示されてましたが、写真撮影禁止でした。

 

写真お借りしています

 

 

街を見渡せば、モスクのミナレット🕌があちこちにニョキニョキ。

 

 

 

市内のモスクでもっとも重要なのが、この征服王スルタン・メフメット2世モスク、別名「皇帝のモスクCareva džamija

 

 

 

ここは、ボスニアがオスマン帝国に征服されて最初にできたモスクだそうで。

 

1457年に建てられた当初はスルタン・メフメット2世に捧げられ、崩壊したのち1565年に再建された時は、スルタン・スレイマンに捧げられました。

 

やはり他のモスクと同様に、第二次世界大戦やボスニア紛争で破壊され、そのあとに修復されたものなので、今の姿はちょっと味気ない感じですけどね…。

 

  このモスクだけは中に入れました。

 

 

ちょうどこの断食月のザカート・アル=フィトル(ラマダーンの最後にする喜捨)をしてなかったので、ぜひボスニアでしたいと思い、このモスクで払いました。

 

その隣の墓地の奥には、修復前のもの?と思われる古いミナレットが残っていて、写真を撮っていたら…な・ん・か…降臨した?!びっくり

 

 

 

ちなみにこの国は、人口の半分以上がムスリム🌙。

 

彼らはトルコ人の末裔とかではなくて、オスマン時代にキリスト教から改宗したスラヴ系のボシュニャク人。

 

バルカン諸国の多くの国がオスマン帝国の支配下にあったにもかかわらず、近隣諸国にはこんなに改宗したムスリムはいないですよね?

 

スカーフ姿の女性も多かった。以前はここまで敬虔ではなく、紛争後にイランやサウジから経済支援を受けた際に宗教的にも影響を受けたそう。女性のムスリマ・ファッションがアラブ風だったのも納得しました。

 

 

ボスニアだけナゼ?🤔と思ったら、

 

ボスニア人がもともと信仰していたキリスト教の宗派(ボコミル派・ボスニア教会)は、ボスニアを支配していたカトリックのハンガリー王国から異端視され弾圧を受けたため、オスマン帝国の侵攻によってより寛容な宗教イスラームが入って来ると、彼らはそれに飛びついた。

 

…という説が有力らしい。

経済的に有利だったからという説もあるけど、それだと他の地域では改宗者が少ない理由を説明できないし。

 

ボスニアでは、オスマン帝国の支配下になって50年で国民の半数が改宗したそうで、それは同じようにムスリム化が進んだアルバニアよりずっと早かったそうですよ。

 

 


領民の大多数がムスリムになったことから、ヨーロッパのオスマン帝国支配下のどの地域よりもトルコ文化が受容されていったそうで。

 

だからこその、トルコと瓜二つ!な光景なんですね。

 

 

そんなボスニア・ヘルツェゴヴィナで私が唯一買ったお土産は、この地で織られるキリムの伝統的な文様をモチーフにしたピアス。

 

 

上の古民家で敷かれていたキリムにその文様が

 

 

キリムもトルコから伝わったものですが、独自の文様も発展し、ボスニアの人たちにとっては祖国を象徴するもののひとつ。

 

むかし日本でガチでキリムと絨毯織りを習っていた私には、かなりお気に入りアイテムになりました💕

 

トルコではあんまりキリムモチーフのアクセサリーって見ない

 

 

 

このトルコ文化の影響は、次の記事で書くボスニアの食文化にもくっきりと表れているのでした。