モスクになったアヤソフィアに入る | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

久しぶりに1人で出られる時間ができたので、アヤソフィアに行ってみました。

 

 

 

ご存知、去年の7月に博物館🏢からモスク🕌に変わったので、様子を見に行こうと思いまして。

 

 

 

入り口には、博物館時代にはあったチケット売り場🎫と改札型のゲート、並ぶ観光客の列…どれもありません。

 

そして門には、新たに再び呼ばれるようになった古い名称🕌、アヤソフィア大モスクAyasofya-i Kebîr Câmi-i Şerîfiという表札がついていました。

 

 

 

入り口の手前には、イスタンブル(コンスタンティニヤ)征服を鼓舞する預言者ムハムマド(saw)のハディース(言行録)

 

قال النبي عليه السلام: لتفتحن القسطنطينية، فلنعم الأمير أميرها ولنعم الجيش ذلك الجيش

預言者(彼に平安あれ)は言われた:コンスタンティニヤは必ず征服されるであろう。それを成し遂げる指揮官のなんと素晴らしきことか、その兵士たちはなんと素晴らしい

 

……を記したキターベが掲げてあり、感慨深い。

 

 

 

アヤソフィア大聖堂がモスクになったことは、

 

預言者の言葉どおりにこの都市がムスリムのものとなったことの最たる象徴なわけで…

 

ここでこの言葉を目にすると、今も昔もムスリムとしては、預言者の偉大さとムスリムとしての誇りを噛みしめずにはいられないよね。

 

 

 

ここがメフメット2世に陥落されるまで、古今東西のムスリム軍人たちは

 

「預言者(saw)の言葉を成し遂げたい、自分がその名誉に預かりたい!」

 

という想い一つで、何百年ものあいだ中東や中央アジアからイスタンブルを目指したわけですよね…。

 

 

 

さてさて以前は、門から横に進んでチャペル正面に向かって開いているドアが入り口でしたが、今は以前は出口だった通路から入る形になっていました。

 

この通路、かつては大司教府につながっていたそうで、天井には色彩豊かに花文様雪の結晶のモザイクが施され、

 

 

 

奥には10世紀のモザイク画で、コンスタンティノープルの町を創建した皇帝コンスタンティヌス1世と、アヤソフィアを建てた皇帝ユスティニアヌス1世が、それぞれ作ったものを聖母子十字架に捧げる姿が描かれています。

 

これ、モスク化の直後は布で覆われていたけど、今はオープンでした。

 

 

 

本堂内に入るところには、モスク化されて靴を脱いで入るために靴箱👞が設置されて、

 

右手の細長いスペースは女性信者の祈る場所として区切られていました。

 

 

 

正面入り口の頭上にある、キリストとマリア、天使ガブリエルに跪く皇帝レオン6世(またはバシレイオス1世?)を描いた9世紀のモザイク画も、特に覆いもされずにオープンでした。

 

 

 

そして中へ!

 

おおおおお

 

 

 

あいかわらず美しい…

 

いやぁ、色々な変化はあるにしても、そんな瑣末なことどっかスッ飛ぶぐらい、まずはその荘厳さ壮麗さ、圧倒的な存在感と美に、何度来ても息を飲みます…。

 

 

 

さてモスク化後の変化の1つ目は、絨毯が敷かれたこと。

 

賛否両論あったターコイズグリーンが目に眩しい絨毯、私もニュースで知った時は絶句滝汗でしたが、

 

見慣れると意外と差し色になってる?と思えたり。

赤やベージュなど暖色系の絨毯だと、地味にまとまっちゃったかも…

 

ちゃっかり上がり込んだ野良猫を可愛がる人たち

 

 

次の変化は、私の記憶では99年春からずっとドームの真下にドカンと鎮座していた巨大な足場が取っ払われて…空間広々!

 

モスク化した直後はまだあったけど、昨年末に取ったようで。

 

20年以上もあったから、修復作業用の足場ではなく、建物の存続に関わるような支えと思ってたけど、外せたんだーーーびっくり

 

 

そしてそして、足場が無くなったおかげで、今まで見えてなかったものが見えてる!

 

それは…天使ちゃん👼

 

 

 

今まで、このドームの4辺に書かれている翼のカタマリふんわりウイングってなんなの?と思ってましたが…

 

この金属の飾りの下に顔があったんですね。残りの3つは今もそのままです

 

 

もともと4隅の翼にはすべてに天使の顔があったものの、8世紀にビザンツィン帝国内で起きた聖像破壊運動🔥の際に漆喰で塗り込まれ…

のちにイズニックで行われた第2ニカイア公会議で再びイコン崇拝が認められます

 

2009年の修復の際に、金属の飾りと漆喰を剥がしたら、モザイク製の天使ちゃんの顔👼がキレイに出てきて、関係者一同ビックリ仰天ポーンしたそうです。


6枚の翼を持つのは、神の玉座を護る最高位の天使セラフィムだそう。

 

そういえばこういう翼にうずもれてる天使画ありますよね…

 

 

さて、チャペルの天井部分の聖母子のモザイク画には、ウワサの白い布がかけられていました。

 

 

 

これ当初は、"礼拝時間のみ覆われる"みたいな触れ込みがあったけど、普通に考えてムスリムが礼拝に来るのはほぼ一日中なので…

 

礼拝時間ってピンポイントなものと誤解されがちだけど、アザーンの直後に行われる集団礼拝に参加しなかった場合は、決められた時間帯の好きなタイミングに個人的にやっていい。

 

事実上覆われっぱなしってことですよね。

 

聖母子とアッラーが共存した、この光景↓はもう見られないかぁ…

 

 

 

チェペル部分のミフラーブ(メッカの方向を示す窪み)の周囲は、男性礼拝者のみ入れるように区切られていて、

博物館時代には考えられなかった礼拝する人々の姿がありました。

 

 

 

その近くのミンバル(説教台)には、モスク化の際に、コンスタンティノープル陥落当時を再現したという、「征服」を示すウワサの緑の旗が掲げられていました。

 

 

 

2階へ登る通路は封鎖🚷されていて、これは一時的なのか、ずっとなのか不明だけど、てなわけで2階の素晴らしいモザイク画は見れない状態です。

 

 

 

建物の外には、旧アヤソフィアやビザンツ宮殿の残骸が散らばってるんですが、そこも封鎖🚷されていました。

 

モスクなのに、警察が厳重に警備してて、全体的にちょっと物々しい感じ。

モスク化反対の正教徒の襲撃とかを警戒してるのか?

 

 

ところで、モスク化当初、私はアヤソフィアが異なる宗教と文化の共存の象徴でなくなること、寛容であるべきムスリムがそれをしたことを、非常に悲しく思っていました。

 

 

 

でも、今回アヤソフィアに来て、その圧倒的な存在感を前にして感じたのは、

 

これはアヤソフィアが過ごしてきた、

長い長い歴史の中の、たった1ページにすぎない。

 

ということでした。

 

モスクや博物館になるどころか、地震で崩壊したり火事で消失したり、信者であるはずのビザンツ人に2回も破壊され、クリスチャンの十字軍に略奪され辱められたこともありました。 

 

でも、それこそがアヤソフィアの歴史。

 

それでもアヤソフィアは建っている。

 

アヤソフィアの持つ壮麗さと纏う歴史の重みは、

なんと呼ばれようと、どう使われようと消せないし、変わらない。

 

むしろ、そんなものを超越して悠然と構えているように、私には見えました。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・追記・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

   

 

2024年1月より、アヤソフィアはこのブログ記事の投稿時から状況が変わりました。

 

●1階部分はモスクとしての利用専用

 ムスリム以外は立ち入れません。

(トルコ国籍ムスリムは好きな時間に入れますが、それ以外の国籍のムスリムは5回の集団礼拝の時間のみ入場可。つまりムスリムであっても礼拝以外の見学目的での入場はNGということでしょうか

 

●2階部分のみ、博物館として観光客も入れます が、25€n入場料が必要です。

 

というわけで、残念ながら、ムスリム以外の人が

1階の正面からあの高いドームを見上げ、アヤソフィアの荘厳さ・偉大さを感じることは現在のところできなくなりました。