木崎音頭 | 笑う門には福来る

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笑いって素晴らしい
最近そんなふうに思います

今夜は木崎音頭まつりが開催されておりました。
今夜開催してるの知らなかったのですが、夕食後風に乗ってお囃子の音がやってきたのでした。
田舎は遮る建物が少ないので1キロ2キロ離れたトコの音が風に乗ってやってくるのです。

僕の生まれ育った群馬県の木崎

木崎の語源
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須勢理比売命は大国主命の后(きさき)だった事から貴先(きさき)という社名になったと云われ、貴先から木崎という地名が生まれたそうです。
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木崎音頭
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 木崎音頭(きざきおんど)は、戦前は木崎節と言われ、夏の盆踊りに唄われました。手ぬぐいで頬かぶりし、うちわで顔をかくし、「雨が3年日照りが四年」と囃子に合わせて唄われ、一節歌うことに一廻りして次の文句を歌う流調な節回しでした。日光例幣使道通行の際に大勢の若者が宿泊を余儀なくされ、旅籠屋ができ遊興の地となり、越後から多くの子女が奉公という名目で身売りされ飯売女として苛酷な生活をしいられました。彼女たちはこのさびしさから、故郷や家族をしのび、宴席で子供の頃覚えた歌を歌ったのが木崎節の始まりと言われています。
 当時の歌詞は卑俗でしたが、戦後東京音頭が全国にヒットしたことから音頭と付く歌がはやり、その流れで木崎音頭へと変わり、踊りの振り付けや歌詞も昔からの節廻しを失ってしまいました。
 八木宿で生まれた堀込源太は木崎節を風土に合わせた威勢のよい節に替えて、生地の八木をとって八木節としたと伝えられています。源太は「源太一座」を組織し、周辺各地で興業し好評を博したといわれています。木崎節が八木節の元唄であることは、多くの民謡研究家にも認められています。
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僕が小学生の頃は5階建てくらいの凄いやぐらを建ててやっていましたが、今はかなり縮小されて、2階建ての可愛らしいやぐらとなっておりました。

懐かしかったです。