◆渡辺惣樹『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』を読む


著者→ジェフリー・レコード
解説・訳→渡辺惣樹



★サブタイトル
→「米国陸軍戦略研究レポート」から読み解く日米開戦


★要旨


・日米関係を考える者にとって、
フランクリン・ルーズベルト(FDR)政権の対日外交の異常さと不愉快さは
喉元に刺さった小骨のようなものである。


・その外交姿勢に疑義を呈することなく、
あの時代の日本の外交をただ内省的に語るいわゆる「自虐史観」にもとづく夥しい史書が存在する。
その記述は喉元の嫌な痛みを刺激し続けてきた。


・「自虐史観」の根本は「日本が身を正せば世界は平和になる」という思想である。
しかしそれがいかに空虚な主張であるかは言を俟たない。


・私たちはそろそろ「自虐史観」の呪縛から
抜け出さなければならないときにきている。


・ここに紹介するジェフリー・レコード氏の論文(2009年二月発表)は
私たちのその作業に有効な手掛かりを与えてくれるものである。


・アメリカ空軍大学教官である氏は、
あの戦争の原因の半分はルーズベルト外交の失敗であると言い切っている。


★レコード論文、ポイント。


・日本はなぜ1941年に対米戦争を始める決断を下したのかという問題は、
長きにわたってわれわれを悩ませてきた。


・アメリカの圧倒的な工業力と潜在的な軍事力を考慮すれば、
日本の行動はまったく非合理的で理解不能と結論づけてしまっても、
それはそれで自然なことではある。


・しかし、日本がなぜわが国との戦争を決断したかを正しく理解するためには、
1941年秋の段階で、日本には戦争の決断以外にどのような代案があり得たかを検討してみなくてはならない。


・当時の日本にとって、わが国と戦うという決断以外に残された道は二つしかなかった。


・真綿で首を絞められるような経済的な窒息死を甘受するか、
アジア大陸に築いた帝国領土を放棄するかの方策しかなかったのである。


・真珠湾攻撃にいたる道筋をつけてしまったのはアメリカ自身の責任もある。
そして同時に日本の誤算もあったのである。


・そうした事態に陥ったのは、両国が互いの文化に無知であり、
またそれぞれの民族が同じぐらい傲慢になっていたからであった。


・日本が東南アジア地域を征圧すれば、
ナチスドイツに対するイギリスの防衛力が落ちることになると恐れられた。
それを危惧したフランクリン・ルーズベルト政権は対日石油禁輸政策を決定した。


・日本は石油資源をアメリカからの輸入に依存しており、
この禁輸政策は日本の行動を牽制するどころではなく、
日本をさらに東南アジアへの侵攻に追いやることになった。


・わが国の出した条件は、日本は大国であることをやめ、アメリカの経済的隷属下に入ることを要求したに等しかった。


・この要求は自尊心ある政治リーダーであれば到底吞めるものではなかったのである。


・現代の国家安全保障問題に責任を負う者は、
1941年に日米が太平洋戦争にいたった道筋を検証することによって、
いくつかの教訓を得ることができる。
その教訓は次の七つにまとめることができる。



一、恐怖心とか誇りといった感情は意思決定上の重要なファクターになる。
そうした感情に合理性があるか否かとは関係がない。


二、潜在敵国の文化や歴史についての知識はきわめて重要である。


三、相手国への牽制が有効か否かは牽制される側の心理に依存する。


四、戦術よりも戦略が重要である。


五、経済制裁は実際の戦争行為に匹敵しうる。


六、道徳的あるいは精神的に相手より優れているとの思い込みは、
敵の物理的優位性を過小評価させる。


七、戦争が不可避であると考えると、自らその予言を実行してしまいがちになる。


★コメント
相手方に関する幅広い情報収集と、
分析がいつの時代も、不可欠である。