◆舘野仁美『エンピツ戦記。誰も知らなかったスタジオジブリ』を読む



舘野さんは、1960年生まれ。
アニメーションを学び、
1987年、スタジオジブリに移籍。
「となりのトトロ」以降、
ジブリ作品の動画チェックを手掛ける。
2014年、ジブリを退社。
カフェをオープンした。


★要旨


・私はスタジオジブリで長年、
アニメーターとして働いた。
とくに動画チェックと呼ばれる作業を担当した。


・簡単にいうと、
アニメーターが描いた線と動きをチェックする仕事。


・動画の線は、アニメーションが生きるか死ぬかの生命線であり、
その品質管理をする仕事だ。


・アニメーターの仕事の中で、いちばん地味で目立たない裏方で、
まさしく縁の下の力持ちであることが求められる。


・担当している「動画チェック」「動画検査」という作業は、
上がってきた大量の動画をひたすらチェックする、
きわめて地味な仕事だ。


・宮崎駿さんが口癖のようにスタッフに言っていたのは、

「写真やビデオ映像を見て、そのまま描くな」
ということ。
「資料を参考にして描きました」
と語るアニメーターたちに、宮崎さんは厳しく接した。
何度も。


・写真やビデオを見て描くような、
そんな浅いところで済ませてはダメなのだ。


・ふだんから、人間の動きはもちろん、
あらゆる自然現象、森羅万象に興味をもってよく観察して、
記憶して、いつでもその動きを表現できるようになっているのが
アニメーターなのだ、
という確固たる信念のもとに宮崎作品はつくられている。


・しかも宮崎さんは、
ただ現実をそのまま描くのではなく、
現実の向こうにある理想の「リアル」を描くことを
探究しているのだ。


・本物の鳥に向かって、

「おまえの飛び方はまちがっている」
とつぶやく宮崎さんを見て、
宮崎さんの創作の秘密を垣間見たような気がした。


・「アニメーターの勘は、ものの観察から生まれるんだ」
宮さんは、スタッフに

「ふだんから、目にするものをよく見ておくように」
と言っていた。


・ロケハンに行ったときも、
つい写真を撮って記録することに気をとられがちなスタッフに対して、
カメラのレンズ越しではなく、

「自分の目で見ること」
の大切さを伝えていた。


・その時間、その場所の空気感、手触り、
カメラでは収めきれないことがたくさんある。
表現する人にとって、そうした体験の記憶は、
すぐに使う機会がなくても、
心の引き出しに蓄えておけば、
いつか大きな力になることがある。


・もうひとつアドバイスするとしたら、
若いうちから本をたくさん読んでおくことをおすすめする。
いつかアニメーターでは飽き足らなくなって
演出をしたくなるかもしれない。
古今の名著と呼ばれるものは、なるべく読んでおいて損はない。
たとえば、シェイクスピア。


・『もののけ姫』のアフレコで、宮崎さんは、
森繁久彌さんに、

「リア王を思い出して」
と言っていた。
森繁さんもそれに対して、きちんと応えていた。


・プロデューサーは、錬金術師なり。


・ジブリ作品のヒットは、
やはり鈴木さんの指揮によるメディア戦略と宣伝の力にも
負うところが大きいのは間違いない。


・ジブリがマスコミ大きく取り上げられたり、
多くのメディアが、ジブリに対して好意的に
見られているようだ。
私なりに感じている理由は、

「鈴木さんは人のために親身になるから」
だと思う。


・鈴木敏夫さんは、人に頼られると、
その人のお願いをなるべく聞いてあげて、
可能な限りそれを実行に移そうとする。
情に厚い、親分肌の方だ。


・すると相手にとっては、
見えない形ではあれ、「借り」ができる。
おそらく放送業界や出版業界には、
そういう人がたくさんいたのではないか。


・その後、どんなに時間がたっていても、
ジブリの新作映画の公開に際して、
鈴木さんから「よろしくお願いします」
と言われたら、
たいていの人は、ひと肌脱ごうと思うはず。


・そうして鈴木さんの日頃の小さな親切の積み重ねが、
いさというときに、
大きな贈り物となって
返ってくるのだと思う。


・プロデューサーという仕事は、
なんといっても錬金術師にならなくてはならない。
評価も価値も定まっていない、
まだ実体のない映画の企画案に、
何億円も、何十億円という価値を発生させてしまう仕事だ。


・「動画の線こそ、アニメーションの生命線」
という秘かな矜持を私は持っている。


★コメント
アニメ制作の凄みをここに見た。