◆山上信吾『歴史戦と外交戦。パブリック・ディプロマシー』を読む
山上さんは、元駐豪大使。
副題
→日本とオーストラリアの近現代史が教えてくれる、
パブリック・ディプロマシーとインテリジェンス
★要旨
・外交官生活の最大の醍醐味は、人との出会いです。
・特に、在外公館で勤務する際には、
霞が関の外務本省に居続けていたのであれば知り合う機会がまずなかったような人と
知己を得ることができます。
・相手の土俵では勝負しない。
「歴史論争に引きずり込まれるのではなく、
自分たちを受け入れてくれているオーストラリア社会を分断してしまう危険を理性的に訴える」
これぞ至言ではないでしょうか。
・なにも「歴史」とは、大東亜戦争の歴史だけではありません。
戦前・戦後、オーストラリアであれ、アメリカであれ、イギリスであれ、
日本人、日本企業が移住・転勤先、取引・投資先の現地社会に溶け込むよう、
誠実かつ地道に努力を重ねてきたのも、また脈々と流れる「歴史」です。
・歴史戦に臨むうえでは、そうした長年の積み重ねから得られてきた
日本や日本人の信用度が最大の武器になると信じています。
・思い返せば、40年に及んだ私の外交官生活で
通奏低音のように常に付きまとってきたのが歴史認識問題でした。
・そんな有様を外交最前線で繰り返し目の当たりにしてきた私にとって
忘れ得ない鮮烈な体験が二つあります。
・尖閣諸島周辺海域における中国漁船船長による
日本の海上保安庁巡視船への激突事件、国有化、
中国の公船による領海侵入といった一連の展開に英国メディアの関心が高まり、
駐英日本大使と中国大使の双方がBBCテレビのインタビューに個別に応じることとなったのです。
・テレビインタビューの段になると、
間違った事実関係を堂々と胸を張って滔々と主張し続けた中国大使の弁舌に接し、
多くの英国人が中国側に軍配を上げてしまったのです。
・これが、日本が臨んでいた歴史戦の惨状であり、
悔しいことに、日本のトップクラスの外交官の力量を反映したものでもありました。
・こうした「負け戦」に触発された私は、その後、
昼夜となく10年、20年と筋トレを続けたのです。
・いつ、いかなる国で自分が日本政府を代表する立場に
立って歴史戦の当事者になろうとも、
理屈、プレゼンテーションの双方においてオメオメと負けることだけは
決してすまい、
と心に誓って研鑽に努めた次第です。
・その過程では、あまたの歴史関連書籍を渉猟するだけではなく、
プレゼンに秀でた英語圏、
さらにはイスラエルやロシアなどの
他国の外交官からも「技」を学ぶよう努めました。
・また、在勤したロンドンでは英語の家庭教師をつけ、
改めて発音の矯正を図るとともに、
英語圏のインテリがなじんでいるスピーチや詩の教授も受けました。
聞き手が納得する知的な言い回し、比喩、
譬えなどを貪欲に吸収しようとしたのです。
・そうした訓練の集大成がキャンベラでの大使勤務だったのです。
★コメント
世界を相手にする、
我々ビジネスマンも、外交官の交渉力、プレゼン力を
学びたい。