◆城内康伸『奪還。日本人難民6万人を救った男』を読み解く
★要旨
・敗戦後、当時、6万人もの同胞を救出する大胆な計画を立てて祖国に導いた「とある男」に光を当てた。
・1945年8月。玉音放送の6日後にはソ連軍が北朝鮮に進駐し、
難民と化した現地の日本人に略奪と暴行の限りを尽くしたというが、
その残虐性は何よりも女性たちに向けられた。
・1945年8月、朝鮮半島。6万人もの日本人難民の命を救い「引き揚げの神様」とまで呼ばれた男がいた。
その名は、松村義士男(ぎしお)。一介の市民に過ぎず、
・戦前には労働運動へ身を投じたことで国家から弾圧されたアウトサイダーだったが、
飢えや疫病により死の淵に立たされた同胞を本土へ帰還させるべく身を賭した。
・1945(昭和20)年8月、敗戦によって日本の植民地支配が終わり、
拠り所を失った朝鮮半島に住んでいた在留邦人は事実上の「難民」と化した。
・復員省などの調査によると、終戦当時、朝鮮半島には約70万人の一般邦人が住んでいた。
そのうち北緯38度線以北、
すなわち北朝鮮地域に住んでいたのは約25万人と推定されている。
さらに終戦前後には、満州から約7万人の避難民が北朝鮮になだれ込んだ。
・そのような苦境において、咸鏡南道、咸鏡北道に取り残された日本人を日本本土に引き揚げさせるため、
南朝鮮に次々と集団で脱出させた人物が北朝鮮にいた。
その名を松村義士男(ぎしお)という。
・日ソ開戦前、咸鏡南道、咸鏡北道に住んでいた日本人は旧厚生省の推計で約14万人、
北朝鮮の日本人全人口の6割近くを占めていた。
その両地域から在留邦人を大量脱出させる工作で、中心的な役割を果たしたのが松村だった。
・松村は、戦前には労働運動に加担したなどとして治安維持法違反で、
2度にわたり検挙された元左翼活動家だった。
・このため、北朝鮮の新政権の中には、
かつて共に辛酸を嘗めた共産主義者の知己が多く、こうした人脈を生かして日本人救済に尽力した。
・ロシア軍のウクライナにおける暴虐は数多く伝えられている。
ロシア側の戦闘員には、民間の受刑者らが「ストームZ部隊」の兵士として多数投入されているという報道もある。
歴史は繰り返すということだろうか。
・1945年8月、朝鮮半島。敗戦の6日後にはソ連軍が北朝鮮に進駐し、
略奪と暴行の限りを尽くしたといわれるが、
そこでも「囚人番号」らしき入れ墨が刻まれたソ連兵の姿が目撃されている。
★コメント
地獄のような戦いは、再び繰り返される。
備えよう。