◆江崎道朗『コミンテルンとルーズベルトの時限爆弾』を読む
(迫り来る反日包囲網の正体を暴く)
★要旨
・マレーシアのガザリー元外相は、
「マレーシアが独立して間もない頃、
マラッカ海峡を通るタンカーに通行税を取ろうという話が出たことがあったが、
そうすると日本の貿易に打撃を与えるので、この話は立ち消えとなった」
と指摘する。
・ガザリー元外相は戦時中、
日本軍が開設した興亜訓練所で学んでおり、
大東亜戦争の理想に共鳴していたのだ。
・大東亜戦争の遺産によって支えられた戦後日本。
・大東亜戦争の理想に共鳴したアジア各国の指導者たちによって
日本は過酷な戦後補償から逃れることができたばかりでなく、
東南アジア市場への進出を支援され、
今日の経済発展の基礎を築くことができた。
・大東亜戦争の精神的遺産に、わが国は支えられてきたのだ。
・靖国参拝に反対している国は、わずか2カ国。
・竹本忠雄教授は、独立国家にとって不可欠な3つの自由について、
以下のように述べた。
→およそ一国が独立国といえるためには、
3つの自由がなければなりません。
第一は、自国の防人をもって自国を守ること。
第二は、自ら教育したいように自ら子弟を教育するということ。
第三は、自ら祀りたいように自分たちの神々を祀るということ、
この3つであります。
日本に、このなかのどの自由もありません。
・自衛軍を持つための憲法9条改正と、
国を愛する心を謳った教育基本法の改正、
そして首相の靖国神社参拝の3つは、
戦後奪われた我が国の基本的自由を取り戻し、
まともな独立国家となるために絶対に必要な決断だ。
・アセアン結成を支えた民間外交官、中島慎三郎。
・大東亜戦争の理想を忘れず、民間人でありながら、
福田赳夫首相らのブレーンとして対アジア外交を担い、
インドネシア共産化を阻止した人物が日本にいることを知ったのは、
1991年の夏のことだった。
・海部首相が1991年にアセアン諸国を歴訪し、
先の大戦について謝罪したことについてどのように受け止めるべきか、
名越教授と話をしていたところ、
「アセアンのことならば、インドネシアに戦後200回以上
訪問したことがある中島慎三郎というおもしろい人物がいるから紹介しよう」
といって、連れて行ってくれたのが新橋にあった
「インドネシア・センター」という事務所だった。
・その事務所は「インドネシア・ラヤ」という
インドネシア料理店があるビルの地下にあった。
「インドネシア・センター代表」という肩書を記した名刺を
差し出しながら中島さんは開口一番、
「何でも質問していいよ」
とおっしゃった。
・国際的な情報戦を勝ち抜くために。
・いわゆる反日国家というのは
中国共産党と韓国、北朝鮮のわずか三か国に過ぎず、
日本は決して「孤立」などしていない。
・世界には二百近くの国家が存在しているが、
首相の靖国神社参拝に反対しているのも、
中国と韓国だけである。
・岸信介首相や福田赳夫首相の民間スタッフとして
アジア外交を担当した中島慎三郎先生がいらっしゃる。
・中島先生を通じてアセアン諸国の政治家や
外交官と直接、話をすることができた。
・そのおかげで、戦後日本が経済発展を遂げることができた背景に、 大東亜戦争を評価するアジアの指導者たちの支援が
あったことを知ることができた。
・アメリカの保守系シンクタンクや草の根保守、
そして米軍関係者と付き合う中で、
ソ連と中国共産党に対して警戒心を持ち、
戦前から「強い日本」を支持するグループが
アメリカに存在したことに気付くことができた。
・せっかく日本の立場を支持する親日国際ネットワークが
あるのだから、それを活用しながら日本の国益と名誉を守る外交を
展開していくべきである。
・冷戦終結を受けて旧ソ連のコミンテルン文書や
アメリカの機密文書が次々に公開されるようになったことに伴い、
アメリカでは今、保守主義者たちの手によって、
第二次世界大戦に到る歴史の見直しが進んでいる。
★コメント
一国や二国だけの論調を調べるのではなく、
さまざまな国の主張を情報収集することによって
多様な見方をつくることができる。
いつの時代でも変わらない。