◆北村滋『外事警察秘録』を読み解く



北村さんは、警察庁出身。

警備・公安部門の勤務が長い。

内閣情報官、国家安全保障局長を歴任。



★要旨



・「重信房子」は、

我が国の外事警察が長い間、

多くのリソースを割いて追跡しながらも、

今なおメンバーの一部が逃亡している国際テロ組織「日本赤軍」の

最高幹部を務めた人物である。



・日本赤軍は、

テロを起こして捕えられた仲間を

新たな奪還テロによって釈放させ、

別のテロに合流させようとした、

稀有な凶悪犯罪集団だ。



・日本警察は、

長くその壊滅を目指し、

世界の果てまで追及してきたが、

私にとっては、インテリジェンス・オフィサーの世界に

足を踏み入れるきっかけでもあった。



・1982年、

私は、奥村人事課長補佐から、

フランス留学への内示を受けた。

彼の勧めに従って、フランス語を学んだ成果だった。



・当時、警察庁入庁3年目の若者だった私は、

庁舎で文書審査に明け暮れていた。



・奥村課長補佐からの内示によって、

外国でしばし羽を伸ばせると、

私の中で解放感が生じ、

ただただ嬉しかったことを憶えている。



・だが、私をフランスに送り出そうとする警察庁には、

「日本赤軍」や「よど号」グループなど

我が国が直面していた国際テロ組織と闘うための、

インテリジェンスオフィサーを一人、戦列に加える、

という含意があったのだと思う。

私がそれを理解するのは、後になってのことだ。



・日本の外事警察が、

海外でテロリストを追跡し、捕らえ、

組織壊滅を目指す。

そして現地の治安機関、情報機関を

カウンターパートとするようになってきたのであった。



・1977年までのテロ事件は、

ヨーロッパもしくは、アラブを中心に起きていた。

その中でも日本赤軍の潜伏先として、

北西アフリカのマグレブ地域、

東部地中海沿岸のレバント地域が想定されており、

そこでの通用言語は、アラビア語を除けば、

英語よりもむしろフランス語であった。



・フランス語圏での対テロ情報活動の重要性が

組織的に強く共有された時代に、

私は警察庁に入った、ということになる。



・今にして思うと、フランス留学、

在フランス大使館勤務、外事課理事官、

外事課長、外事情報部長、内閣情報官、

国家安全保障局長へ至る、

40年の役人生活の基本線「インテリジェンスの系譜」は、

留学時に決まったのではないか、

と感じている。



★コメント

北村さんは退官後、さまざまな著書を出しているが、

どれも学びの多いもので、熟読したい。



 

 

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