◆大西康之『ファーストペンギン。楽天、三木谷浩史の挑戦』を読む



★要旨



・日本興業銀行を辞めた三木谷浩史は、何をすべきかあれこれ迷った末、

インターネット・ショッピングの「楽天市場」を始めることにした。

1996年のことだ。



・なけなしの100万円を投じてシステムを外注したが、思うように動かない。

三木谷は「やっぱり自分でやらないとダメだな」と言って、

大学院を修了したばかりの本城とともにプログラミングの猛勉強を始めた。



・本城は本職のコンピューターエンジニアではないが、

ITと英語が必須とされる慶応SFCの出身だから、ある程度のITリテラシーは持ち合わせていた。

三木谷はバリバリの文系である。

興銀に入行後、ハーバードでMBAを取得したとはいえ、プログラミングは習っていない。

それでも三木谷は本城に負けじとプログラミングを学んだ。

そして、彼は一通りのプログラミングが書けるようになった。



・創業メンバーの杉原はこう証言する。

「三木谷さんはとにかく負けず嫌いな人ですからね。

他人にできて自分ができないというのは我慢ならないわけです。

でも、カッコつけだから必死になって努力しているところを見られるのはイヤ。

だからコソ勉するんです」



・プロ野球に参入したころの三木谷は野球の素人だった。

彼は球団経営から野球の戦術、技術まで、あらゆることを猛烈に勉強した。

やがて米メジャーリーグにも友人、知人が大勢でき、

彼らと会うたびに最先端の知識を仕入れてくる。

いつの間にか監督やコーチと互角に議論できるレベルに達していた。

この学習能力の高さが、三木谷浩史の真骨頂である。



・シリコンバレーのコミュニティに入ろうとしている三木谷はこう言う。

「クラウド、イッターネット・オブ・シングス、ビックデータ。

この世界では、次から次へと新しいテクノロジーが出てきて、

市場がどんどん変化していく。

計画なんて役に立たない。

嵐の真っ只中にいるのだから」



・激しい変化を肌で感じるためには、嵐の中に身をおく必要がある。

だから三木谷は、ここシリコンバレーに居を構えた。

バーベキューパーティに入るための「入場券」とも言える。

パーティのホストが務まらない「無粋な人間」のところには、

人も情報も集まってこない。



・2007年1月、年が明け、その日は仕事始めだった。

三木谷と穂坂は朝6時の飛行機で羽田から福岡に向かった。

機中で三木谷は分厚いファイルを熱心に読んでいた。

そこには楽天市場から楽天トラベル、検索サービスのインフォシーク、

楽天証券、ゴルフ場予約サービスの楽天GORAまで、

数十に及ぶ事業の前週の損益状況がびっしり書き込んであった。



・一橋大、興銀、ハーバードMBAという三木谷のバックグランドと聞くと、

理論先行の頭でっかちな経営を想起するが、三木谷のやり方はその対極にある。

一つ一つの小さな数字を舐めるように見て、会社が起きていることを隅々までチェックする。

「どミクロ」の経営が三木谷の身上だ。

その姿はJALを再建した京セラ創業者、稲盛和夫のスタイルに似ている。



・小学6年生から10年間、アメリカで過ごした百野研太郎(元・楽天常務)は、

トヨタに入社、日本でクルマ作りをみっちり教え込まれた後、

英国の関連会社TMUKに配属され、同社会長のアラン・ジョーンズの鞄持ちになった。

英国紳士のアランは百野のアメリカ英語を「それでは馬鹿だと思われる」

と徹底的に矯正した。

百野がきれいなクイーンズ・イングリッシュを覚えたのは、アランのお陰だ。



・元楽天副社長の島田亨は、1987年に東海大学を卒業し、リクルートに入社した。

そこで宇野康秀らと出会い、89年に人材派遣のインテリジェンスを創業する。

2000年にインテリジェンスを辞め、幾つかの会社を立ち上げつつ、

様々なベンチャー企業に投資をして悠々自適の生活を送っていた。

2004年のある日、西麻布で飲んでいると、突然、島田の携帯電話が鳴った。

三木谷からだった。

起業家仲間として旧知の仲である島田に、三木谷は単刀直入に言った。

「島田さん、球団の社長をやってくれませんか」



・20代半ばからずっと経営者をやっていた島田の手腕はベテラン社長並。

三木谷の周りを固めるのは、島田のような一騎当千のプロフェッショナルたちである。

彼らはカネや働く場所に困って楽天に来たわけではない。



・「たかが事務処理」をおろそかにしない。

かつての楽天はM&Aを繰り返した副作用で、財務・経理部門がガタガタになっていた。

毎年、何社も買収を続けたため、一つの会社の中で様々な方言が飛び交い、収拾がつかなくなっていった。

「たかが事務処理」と軽く見て、この状況を放置すると、

やがて会社の中で何が起こっているかがわからなくなり、組織は制御不能になる。

管理部門の強化が必要だった。

興銀時代に事務処理の大切さを叩き込まれた三木谷は、楽天が迎えた「内なる危機」を見逃さず、

すぐさま「プロジェクトV」という取り組みを始めた。



・とにかく起業家はビジョンやテクノロジーに走り、

エグゼキューション(実務)をおろそかにしがちだが、

元銀行員の三木谷は廣瀬のような実務家を重用し、優れて実務的な経営をする。


 


★コメント

筆者の大西氏は日経の記者出身。

さずがその筆致は緻密であり、表現方法が面白い。

客観的な視点で、楽天や三木谷氏をみていて、勉強になる。



 



 

 

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