◆今村翔吾『戦国武将を推理する』を読み解く
★要旨
・庶民から天下人まで上り詰めた豊臣秀吉ほど、
「立身出世」という言葉が似合う人物いない。
・生年月日もそうだが、
若い頃の秀吉はとにかく謎だらけ。
・私は、秀吉は百姓と下級武士の間、
今風にいえば「季節労働者としての契約社員の息子」くらいの感じだったと考えている。
・信長には古くからの譜代家臣が少なく、
実力があれば新参者でも抜擢され、
出世しやすい環境でした。
・同じく謎の出自から出世した織田家臣として滝川一益、
明智光秀などもおり、
秀吉の出世も不自然ではなかった。
・宿老が主君の脇をガッチリと固める武田氏なら、
信玄に見初められない限り
重臣の列に加わるのは難しかっただろう。
・秀吉が短期間で出世したのは紛れもない事実である。
・後年栄達した後も周囲には語りたくない働き、
例えば、敵方を内部で対立させ、
組織を切り崩す調略やスパイ工作活動、
あるいはそれ以上の「裏の汚れ仕事」で
信長の期待に応え、
するすると出世していった。
・秀吉の立身出世を下支えしたのが、弟の秀長だ。
・戦働きから事務的な調整や資金調達までもこなした非常に優れた人物で、
最終的には大和・紀伊・和泉に河内国の一部を加えた約110万石余りを領しています。
従二位権大納言まで昇ったことから、
「大和大納言」と呼ばれた。
・気になる点が一つあります。
兄の秀吉もそうだが、
百姓の家に生まれた秀長が、なぜ武将として有能だったのか。
この兄弟は明らかに二人とも相当に優秀です。
尾張国中村で必要な教育を受けていたわけではなさそうだ。
・机上の勉強だけで
天下人までのし上がるのは難しかったはず。
そこで考えられるのが人脈、そして実地での学びだ。
・秀吉が人たらしだったのは多くの人が知るところだが、
若い頃からさまざまな人物と交流している。
・前田玄以や三成の逸話からわかるのは、
秀吉がさまざまな場所を巡り、人と会っていたということだ。
・ひと昔前の営業担当は、
よく歩き、多くの人に会う人が優秀とされてたが、
秀吉はさながらスゴ腕の営業担当という感じだ。
・まずは尾張国内を巡り、
地理はどうなっているのか、
優秀な人間はいないかなど常に探っていた。
★コメント
戦国武将から学べることは、
たくさんある、