◆大木毅『決断の太平洋戦史 。指揮統帥文化からみた軍人たち』を読む



★要旨



・日本海軍の神重徳(かみ・しげのり)は、

キスカ撤退戦などで水際立った才能を発揮する一方で、

「捷(しょう)」号作戦や「大和」沖縄特攻など破滅的な作戦を次々に立案し、

「神がかり参謀」と呼ばれた。



・神重徳は1900年に鹿児島県の造り酒屋に生まれ、

何度か受験に失敗しながら海軍兵学校へ進学。

卒業後は砲術科の将校となった。



・神は、

こと戦術面に関しては強気の姿勢を崩さなかった。

以下、その具体例。 



・大本営海軍部参謀時代、真珠湾攻撃成功の後、

連合艦隊を挙げてパナマ運河を叩くべしと上官に提言。

補給困難を理由に却下される。 



・第1次ソロモン海戦を立案。

ガダルカナル上陸作戦の援護に当たっていた連合軍艦隊に完勝。

艦上にていわく

「これだから海戦はやめられないのさ」。 



・アッツ島玉砕の後、

キスカ撤退作戦に臨んで、躊躇する司令官を一喝。

軽巡「多摩」に乗り込み守備隊の完全救出に成功する。



・戦史の表層には現れることのない参戦各国の「教育」が、

戦いの帰趨を左右した。



・前線では「優れた闘将」と評された神だが、

1943年12月、海軍省教育局に戻される。

その後は水上艦艇の「殴り込み」の成功体験が忘れられなかったのか、

すでに航空兵力の前に無力であることが証明された戦艦を活用すべしと主張。

犠牲ばかりが増大する作戦を、次々に立案していくのである。

以下、その具体例。



・連合艦隊先任参謀として、

フィリピン海上において空母機動部隊を囮として米艦隊を引き付け、

その隙に水上部隊を敵上陸船団に突っ込ませるという「捷」号作戦を立案。

結果は惨敗。 



・沖縄に来寇した米軍に対する水上艦艇の特攻を主張。

その結果、「大和」を旗艦とする第2艦隊は沖縄へ向かい、

悲惨な結末を迎える。



★コメント

先の大戦から学ぶことは多い。

膨大な資料を読みときたい。