◆高野秀行『アジア新聞屋台村』を読み解く



高野氏は、辺境冒険作家。




★要旨



・ワセダの三畳間に沈没するライターのタカノ青年は、

台湾の美人社長に見込まれ、

なぜか多国籍新聞社の編集顧問に就任した。



・勇み立ったはいいが、

アジア各国のツワモノたちに翻弄され、

たちまちハチャメチャな屋台的世界に突っ込んでいく。



・どうも話を聞いていると、

劉さんの経営方針とは、

「まず出す。よかったら続ける。ダメなら止める」

のようだ。




・「あのね、タカノさん、こう考えてみて。

ここは屋台なの。屋台の集まり。

インドネシアの新聞、ある?と言われたら、

はい、あります。

タイの新聞は?

はい、どうぞ。

発行が遅れたら、

まだ料理ができていない。

印刷した新聞の数が足りないときは、

もう売り切れました。

だから、ここは屋台村と一緒よ」



・なるほど、私は目から鱗が落ちたような気がした。



・アジア風の屋台か。

料理の代わりに新聞を出す。

メニューを増やして評判がよければ続けるし、

ダメなら止める。

客が増えればテーブルと椅子を増やす。



・「マーケティングをしない」

と言ったが、それも違う。

新聞を出すこと自体がマーケティングなのだ。

準備もろくにしないで発行するから、

コストがかからない。



・私はこの卓抜したアジア的発想に打たれた。



・劉社長は突拍子もない人だが、

私が聞く限り、社員やスタッフの誰からも愛されている。

「個人的には魅力があるし、楽しいし、いい人」

それがみんなの一致した意見である。



・「タカノさん、今日、ちょっと飲みに行かない?」

こうして、私は新大久保の台湾居酒屋で

劉さんの半生を聞くことになった。

たかが30年そこそこなのだが、

それはもう波乱万丈のドラマであった。



・台湾の台北に生まれた彼女は、

父親が高級外国車の輸入を手掛ける会社を営んでいた。

彼女はピアノやバレエを習い、お嬢様育ちだったらしい。



・彼女は大学を中退して、日本に留学。

20代で会社を起業、そして倒産。

パリに行き、日本人向けの情報誌を発見。

それをヒントに、日本に戻り、

在日台湾人、中国人向けに中国語新聞を企画した。

「エイジアン」という会社をつくった。

24歳のとき。1991年のこと。



・新聞社を設立したはいいが、

出版の知識はゼロ。

元全国紙記者から新聞や出版のことを

一から教わった。



・営業の仕方もど素人だった。

新聞を置いてくれそうなところに、

飛び込みで売り込んだ。



・その行動力の源泉はどこにあるのか。

「日本人はすぐ恥ずかしがるでしょ。

でも、私はチャンスがあれば、何でもやる。

台湾人には、そういう人が多いの」



・彼女には、

なりふりかまっていないのに、

成金じみた田舎臭さがないのだ。

苦労人にありがちなアクの強さもない。

どこか、垢抜けた、清澄な明るさがある。



・劉さんも育ちがいい。

バイタリティのあるお姫様だからこそ、

こんあにも純粋に頑張れる。

そして、周りの人からも助けられる。



・紹興酒の酔いも手伝い、

私はすっかり劉さんの虜になっていた。

「エイジアンの姫を守る」

そんな漢気すらおぼえた。

これからますます泥沼に、

はまっていくとは夢にも思わずに。



★コメント

やはり、高野さんのような面白い人には、

それに相当する面白い魅力的な人が集まってくるようだ。

これぞ、引き寄せの法則なり。





◆まぐまぐメルマガ『国際インテリジェンス機密ファイル』ご案内。

ご登録はこちら。


http://www.mag2.com/m/0000258752.html