◆高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』を読み解く



高野氏は、辺境冒険作家。



★要旨



・それはまだ夏の暑さの残る9月のことだった。

東京、吉祥寺は井の頭公園の入り口にある焼き鳥屋で、

私は知り合ったばかりの若いカメラマンと一杯やっていた。



・陽が沈むまでにまだかなり間があったが、

私はすっかり酔いがまわって上機嫌であった。


「西南シルクロードを全部、陸路で踏破するっていうのはどうかな?」



・若いカメラマンが、

「今度、一緒に何か企画をやりませんか」

と訊ねたとき、

私はほとんど無意識的にそう答えていた。



・「西南シルクロードというのはね、

世界でいちばん知られていないシルクロードなんだ」

私はこれから何十回と繰り返すことになる、

説明の第一回目を始めた。



・「オレにはゲリラに知り合いがいる。

『行きたい』って言えば、協力してくれるはずだよ」


カメラマンは、

しばらく注がれたビールを見ながら黙り込んだ。

フリーランスの私とはちがって

彼は講談社という会社に属するカメラマンだ。



・今回は、

「『会社の仕事』という枠を超えた企画にチャレンジしたい」

という思いで、

共通の友人を介して私に声をかけてきた。



・だから、この手の話に興味が湧かないはずはなかったが、

反政府ゲリラの協力を得て旅をする、

という私の提案は「会社の仕事」どころか、

彼の想像力も超えていたらしい。



・「とんでもないことになった」

翌朝、まだ酔いが残る状態で目覚めた私は、

前夜のことを思い出し、

呆然としていた。

冷静になってみると、

こんな旅が現実にできるとは到底思えなかった。



・だいたい、

私はここ2年ほど「どん底」の状態にあった。

30代も半ばになり、

取り組むべきテーマが見つからず四苦八苦していた。

自信喪失であり、ウツ状態に陥り、

外出するのも億劫になり、

典型的な「引きこもり」だった。



・唯一、元気なのは酒を飲んでいるときだ。

半アル中なので、酒が入ると、

とたんに活力がよみがえる。



・「世界でいちばん知られていなくて、

世界でいちばん古いシルクロード」を

「戦後、世界で初めて踏破する」

という計画には抗しがたい魅力があった。



・何のことはない、

私はカメラマンの森清を説得するふりをして、

自分を説得していたのである。



・こうして、

無謀な旅の計画が本格的にスタートした。

といっても、バリバリと下調べを行ったり、

旅の準備をはじめたわけではない。



・まず、昼間から酒を飲むのは止めることにした。

用があってもなくても、

一日一回は外へ出かけるようにした。

とにかく「ふつうの人間」に戻ることが先決だ。

ゼロからの出発どころかマイナスからの出発である。



・もちろん、こんな情けない状況は、

カメラマンの森清に報告しなかった。

電話や会って話をするたびに、

「準備は万端」「なんとかなる」を繰り返した。

不思議なことに何度もそう言っていると、

自分でもそれが真実のような気がしてくる。



・2月末に日本をでたときには、

完全な見切り発車だったにもかかわらず、

根拠のない自信すら芽生えていたくらいだ。

しかし、世の中は甘くなかった。



・体験として実感を得たものが2つある。

1つは、西南シルクロードは、

道というより「地域」ではないかと思った。



・結局、そこにあったのは「道」ではなく、

「人のつながり」である。



・私が途中から「道」に興味を失い、

もっぱら人とのやりとりに集中するようになったのも

それに由来する。



・成都からカルカッタまで

大勢の人々の手をわずらわせて

たどりついた21世紀の交易品「高野秀行」は、

何と引き替えになったのか。



・愚考するに、

それは「記憶」ではないかと思う。

私の存在が彼らの記憶に残ったのは言うまでもなく、

彼らは私に自分たちの記憶を託した。



・記憶を託すべく私に多くを語り、訴え、

ときには危険を顧みず、

私の身を助けてくれた。



★コメント

人々の人生には、

語りつくせない多くのことがある。

そのようなストーリーを心に記憶したい。




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