◆黄文雄『台湾は日本人がつくった』を読む
副題→「大和魂への恩」
★要旨
・もしも日本帝国がなかったら、
台湾は今でも中国最貧の地である海南島以下の
地域であったという見方は、現在、
ほぼ常識として定着しつつある。
・本書は、まったく捏造でしかない「反日抗日」史観からではなく、
生態学、水文学、地文学などの史観から
台湾を見ようとしたものである。
・本書では、上下水道、電気、都市建設、森林保護、
治山治水、殖産興業、教育と文化の普及など、
台湾の近代化に貢献した日本人を
100人ほど挙げている。
・数万、数十万人の日本人の並々ならぬ努力や犠牲がなければ
今日の台湾はなかったと私は断言できる。
その意味で、わたしは彼らを
「台湾をつくった日本人」
と称している。
・台湾でいわれる、日本精神とはどんなものだろうか。
それは武士道だけではない。
それは、江戸時代までに熟成した日本文化であり、
開国維新後の明治人によって、
いっそう開花された精神である。
・近代台湾をつくった日本人の功労者のなかで、
まず挙げなければならないのは、学校教師、
医師と警察である。
また社会建設に貢献したのは技師である。
・日本の台湾経営は、侵略ではなかった。
・台湾の衛生環境を飛躍的に改善したのが、日本の医療なり。
・台湾は風土病の地だった。
・飢餓の島を豊かな産業国家に変えたのが日本人である。
・道路が整備されたのは、
児玉源太郎総督の時代である。
児玉・後藤の統治時代は、
まさに台湾近代化が大々的に推進された時代となった。
実際に辣腕をふるったのは、後藤新平である。
・上下水道整備により、毒水を飲み水に変えた。
・台湾人にとっての生活史・生存史の最大の課題は、
いかにして水の問題を処理して水資源を利用し、
さらに水体系の循環を理解するかであった。
台湾史を知るには、
絶対に欠かせない視点のひとつである。
・台湾の水道システムの確立は、
台湾の法治社会の成熟を前提としたものであった。
・台湾の医療衛生環境改善の最大の功労者は、後藤新平である。
・社会が安定しない限り、
経済の安定は望めないし、
近代化も絶対不可能である。
台湾近代化の守護役となったのが、日本の警察機構なり。
・「日本精神」という言葉は、
台湾では「誠実、勤勉、正義、清潔、責任感」
などを意味する。
・戦後、日本人が台湾から去り、
国民党軍として大量の中国人が流入したが、
商品を購入しても金を支払わず、
台湾人に対して平然と賄賂を要求する睾丸無恥な態度に、
台湾人はショックを受けたのである。
・日本人は礼儀や時間などに口うるさいが、
規律は守り、よく働く。
それが台湾人からの印象だ。
・当時の伊藤博文総理大臣は、台湾経営については、
樺山資紀初代台湾総督に「しっかりやれ」と激励したのみで、
「植民地経営」の方針や政策については
何一つ指示しなかった。
・やがて第4代総督・児玉源太郎の時代になると、
民政長官に後藤新平が就任したこともあって、
「植民地経営」的な色彩を帯びてくるようになる。
・無味乾燥なマクロ的経済社会構造分析からではなく、
日本の政治家、軍人、思想家、地理学者、医学者、
動植物学者、建築家、技師、さらには歴史文化人類学者、
教育家、言語学者、文芸・文化人など、
血と汗と涙で近代台湾の構築に献身した日本人一人ひとりの
ドラマを集めた。
・人柱となり台湾の土となった明石元二郎総督。
・明石総督と士官学校同期の安島大佐が
明石の台湾総督赴任に際して、
気候も風土も違う土地では食事には注意しろと
助言したところ、
「台湾に行けば台湾の食物を食し、
台湾で尋常の生活をすべきである。
台湾で死んで台湾の土になればむしろ本望だ」
と答えたという。
・それにより彼らが、いかに台湾の国土開発を計画し、
未開の山地を探検・探索し、
台湾を近代化に導いたか分析する。
・現在の民主国家としての台湾を築いたのも、
日本時代を経験した台湾人たちであった。
その代表的人物が先ごろ亡くなられた、
李登輝総統である。
・李登輝の教育改革により、
現在の台湾人は自分たちを
「中国人ではなく、台湾人である」
と考えるようになった。
台湾人としてのアイディンティティが確立されたのである。
・私は、李登輝総統が、台湾の教育改革に
全身全霊を打ち込んだのは、日本時代の旧制高校である
台北高校の出身だったからだと考えている。
台湾において旧制高校出身者は、
学識のみならず人格的にも、日本精神のシンボルとして
高く評価されている。
★コメント
台湾を知ることは、日本を知ることにつながる。
学びたい。