◆岩井秀一郎『今村均。敗戦日本の不敗の司令官』を読む



★要旨



・今村均は、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦時に第16軍司令官として活躍し、

最後は要衝ラバウルで第8方面軍司令官として終戦を迎えた陸軍大将である。



・開戦時、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略し、

温情主義的な統治によって成功を収めた。



・その後はニューブリテン島のラバウルを要塞化し、

徹底的な自給自足体制を整えて連合軍の反攻に備えた。



・第8方面軍の構築した要塞は連合軍の攻略を躊躇させるほど 強力なものであり、

とうとうラバウルは連合軍の上陸を見ずに戦争の終結を迎えた。



・結果として日本は戦争に敗れてしまったものの、

今村のいるラバウルは最後まで統率を全うしたのである。



・そして、戦争が終わっても今村は指揮官の責任を

放棄しなかった。



・しかし彼は旧部下がパプアニューギニアのマヌス島の劣悪な環境で収容されているのを見過ごせなかった。



・今村は、誰もが戻りたかった祖国に帰ってきたにもかかわらず、

志願してマヌス島へと向かった。



・戦争が終わってオーストラリア軍の管理下に置かれた後も、

将兵に旧制中学校卒業程度の学力をつけさせるために、

一般教養科目の教科書・資料を編纂させ、

部隊ごとに適任者をもって臨時の教育を行わせた。


・戦争末期、

今村はすでに戦後を見据えた指導を行なっていた。

昭和20年6月ごろ、今村は方面軍の若い中、少尉を集め、

戦闘とは直接関係のない技術教育(講座)を開始した。



・今村均という人間は一見平凡にみえながらも

指導者として欠いてはならない修養を重ね、

大東亜戦争という日本最大の危機に可能な限り対処した。



★コメント

今村さんの凄みから、

学びとりたい。