◆鈴木敏夫『天才の思考。高畑勲と宮崎駿』を読み解く



★要旨



・「スタジオジブリ」は、借金を背負って発足した。



・高畑勲は事務能力もすごくある人で、

「風の谷のナウシカ」のときに、

彼が作った予算書というのは、完璧だった。



・宮崎駿から

「天空の城ラピュタ」の構想を聞いた高畑さんが、

「イギリスのウェールズの渓谷を2人で取材しに行こう」

と提案した。



・宮崎は、ウェールズで朝早く起きて、スケッチして回った。



・日本に帰ってきてから、

それを基に絵コンテを描き始めた。

あのときの旅が、

ずいぶんと作品に反映された。



・出版物、グッズやテレビ放映、ビデオなど

「となりのトトロ」が

もたらす莫大な利益によって、

ずいぶんとジブリは助かっている。



・「ナウシカ」「ラピュタ」に続けて、

「血湧き肉躍る冒険活劇」を三作つづけて、

この路線に自らを限定していたら、

どんどんジリ貧になっていたはず。



・「トトロ」と「火垂る」である種の文芸作品を

アニメーションでつくることにチャレンジし、

それが広く受け入れられたことで、

ジブリの幅が広がったことは間違いない。



・「魔女の宅急便」は、

スタジオジブリとしては初となる、

外部からの持ち込み企画として、スタートした。



・宮崎駿の脚本執筆スタイル。

「魔女の宅急便」のシナリオを書く作業に

全部付き合うことになった。



・宮さんの事務所のある阿佐ヶ谷に、

脚本の完成まで毎日通い詰めた。



・何か聞かれたり、相談されるごとに、

すぐ答えられるよう、

朝から夜までずっと隣にいた。



・宮さんの執筆スタイルは変わっていて、

僕に向かってあれこれ喋りながら、

鉛筆を走らせていく。



・1シークエンス終わるごとに、

すぐ原稿を見せてくれる。

それで「どう?」と聞かれ、

感想をいうと、すぐパッと書き直す。



・「魔女の宅急便」において、

映画と企業のタイアップであったが、

いろいろなところでモメて、

けっして整ったシステムや戦略が、あったわけではなかった。

すべては、手探りの状態だった。



・徳間書店が不良債権問題で大変なとき、

その解決にかかわっており、僕は頭をかかえて、

スタジオに帰ってくると、

宮さんは「毛虫のボロ」という企画の話をする。

むしゃくしゃしていた僕は、

宮さんに逆提案した。

「次は、『もののけ姫』にしませんか」って。



・宮さんという人は、

たえずいろんな企画を抱えている人で、

「もののけ姫」の原案も、

何年も前から話に出ていた。



・東宝の社内会議では、

「『もののけ姫』一本に賭けて大丈夫なのか、

内容も難しい映画だ。そんな簡単にいかないだろう」

と声があがった。


そこで配給を取り仕切る、西野常務が、名セリフを吐いた。


「映画は頭で観るんじゃない。腹で観るんだ!」



・その一言で、場の雰囲気がガラリと変わったらしい。



・東宝は「もののけ」に対して、

特別な配給体制を組んでくれた。

前代未聞に近い賭けだった。



・「もののけ姫」は、

世界中でヒットし、

気がつけば東小金井の小さなアニメーションスタジオは、

「世界のジブリ」

になっていた。



★コメント

映画もおもしろいが、宮さんや鈴木さんたちの制作舞台裏も

人間臭くて、おもしろい。