◆岩崎周一『ハプスブルク帝国』を読み解く
★要旨
・ハプスブルク君主国という存在は、
依然として何ともとらえにくく、
得体の知れない「未知の国」であり続ける。
・1000年の歴史を俯瞰する。
・本書は「ハプスブルク帝国」と題するが、
文中では、
ハプスブルク家の君主により統治されていた国家を
一貫して「ハプスブルク君主国」と呼称する。
これは「神聖ローマ帝国」、
そして「オーストリア帝国」
との混同を避けるためである。
・ハプスブルク家にとって
三十年戦争とは、
マクシミリアン一世期以来、
追求してきた覇権政策実現のための、
最後の試みであった。
・一方、欧州列強は、
自らの野心、権益、
そして政治的自由を宗派問題に絡めつつ、
時々の状況によってさまざまに立場を変えながら
ハプスブルク家に対抗し、
この「最初のヨーロッパ大戦」を戦った。
・30年の長きにわたって断続的に
行われたこの戦争は、折々の段階での
ハプスブルク家の主要交戦国の名をとって、
以下のように4段階にわけて、おおよそ把握されている。
1、「ボヘミア・プファルツ戦争」(1618~)
2、「デンマーク・ニーダーザクセン戦争」(1625~)
3、「スウェーデン戦争」(1630~)
4、「フランス・スウェーデン戦争」(1635~)
・ハプスブルク家は、三十年戦争において、
自領ではプロテスタント勢力を打倒して
「勝利」したものの、
帝国および欧州のレベルでは
覇権の確立に失敗した。
・歴史家ポール・ケネディが言うように、
「ハプスブルク家には、やるべきことがあまりに多すぎ、
戦うべき敵が多すぎ、
守るべき戦線が広すぎた」のだ。
・オット・ハプスブルクは、
多民族共存のモデルケースとして、
ハプスブルク君主国を繰り返し称揚した。
→
しかし、フランスの文学研究者ジャック・リデーが言うように
「『ハプスブルク神話』というにこやかな仮面の裏には、
きわめて多くの暴力と、克服しがたい対立の溝が
隠れているのである」
・1918年11月3日、
ハプスブルク君主国は連合国との休戦協定に調印した。
事実上の敗戦である。
こうしてハプスブルク君主国は、終焉の時を迎えた。
★コメント
栄枯盛衰のモデルケースをみた。
国を守るために、ここから学ぶことは多い。
◆まぐまぐメルマガ『国際インテリジェンス機密ファイル』ご案内。
ご登録はこちら。
http://www.mag2.com/m/0000258752.html
★