◆安部龍太郎『家康はなぜ乱世の覇者となれたのか』を読む



副題→「世界史の視点から読み解く戦国時代」



★要旨



・戦国大名は、流通経済から生まれた。



・南蛮貿易によって、

それまでの数倍にのぼる商品と貨幣が

国内に流通するようになった。

高度経済成長だ。

貿易の対価として銀の需要が爆発的に高まった。

シルバー・ラッシュである。



・戦国の高度経済成長を支えた富の集積地が、

謎に包まれた「堺」である。

内外の交易の拠点であり、

納屋衆と呼ばれる富裕な商人が支配していた。



・茶の湯の政治学がそこにあり。



・茶の湯とは、

ただお茶を飲むという趣味ではなく、

ビジネスや政治と密接に絡んでいた。



・茶室は、じつは商談の場であったのだ。

気密性が高く、誰も近寄れない。

茶室で開かれる茶会に呼ばれるというだけで、

超上流階級のメンバーズ・クラブに

招かれたようなものだった。



・茶の湯を広げ、

茶会をプロデュースしたのが千利休ら

納屋衆だったことは重要なり。



・納屋衆は、信長、秀吉、家康と続く天下人を

はじめとする有力者に茶の湯を通じて接近し、

商談と同時に政治の裏工作にもコミットしていた。



・茶会を開くことを許されるというのは、

おそらく天下を動かす密談のネットワークに

入ることを許されるということを意味する。



・家康も、利休ら茶人が

プロデュースした茶会を通じて機密情報を集めたり、

納屋衆との商取引や政治工作を行った。



・堺、そして茶室は、

表だって話すことのできないような密談や、

政治的な裏取引にも利用された。



・家康が人質となったころの今川領国では、

今川文化と呼ばれる進んだ文化が花開いていた。



・今川氏はもともと

「天下の副将軍」

「足利家が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川継ぐ」

と言われたほどの名門である。



・今川の本拠であった駿府は、

豊かで文化的な香りの高い都会だった。

また交通の要衝で、太平洋海運の集積地でもあった。



・駿府で、8歳から19歳まで

最先端の学問を学ぶことができたのは、

家康の人格形成に大きな意味を持っている。

彼の学問や性格の基礎は、駿府で作られた。



★コメント

徳川家康に対する新しい見方が次々と出てきている。

かれから学び取りたい。


 

 

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