◆西尾幹二『維新の源流としての水戸学。GHQ焚書図書』を読む



副題→「GHQ焚書図書開封11」



★要旨



・水戸光圀の尊皇思想は、突出して堅固だった。



・徳川御三家、水戸藩の徳川光圀が、

とりわけ重んじたのは、大忠臣・楠木正成だった。



・「天皇は君主であり、将軍は親戚総代である」

というのが水戸家の認識だった。



・「万一の場合、水戸家は天皇方につけ」

というのが家訓なり。



・我が国は、「尊皇排覇」が鉄則である。



・徳川幕府は、「水戸学」という爆弾を抱えた政権だった。



・水戸学の核心は「尊皇攘夷」と「国体論」にある。



・日本の近代国家形成の起点となったのが、水戸学なり。



・徳川家から天皇家への権力の移動は、

「下からの」革命ではなかったので、

革命ではなかったともいわれる。

しかし、下級武士による上級武士の権力の簒奪は、

間違いなく起こった。



・徳川家康は、いつの日かこうなることを

見越していたという説がある。

徳川家と天皇家が武力衝突を起こすような事態が

万一にも起こったとき、

幕府側が逆賊の汚名を着ることのないように、

幕藩体制の内部に天皇家への忠臣を配置し、

万が一の日のために用心深く封印しておいたということ。

それが水戸家であったという。



・幕府と天皇方、どっちが勝っても徳川家は残る。

幕府が勝てばそのままだし、

天皇方が勝っても水戸徳川家だけは残る。

一種の「保険」である。

家康の深謀遠慮は、それくらい深謀だったという説だ。



・後期水戸学の大きな柱は、尊皇攘夷と国体論である。

尊皇攘夷と聞いて、

難しいと思わないでください。

「皇室を尊ぶこと」と「国防」ということ。

攘夷とは、外国の敵を討つ、

ということなので、「国防」だ。


国体というのは「日本とは何か」ということ。


これらのテーマを切り拓いたのが水戸学だ。



・家康が、徳川家安泰のために「保険」をかけ

水戸藩を尊皇の家系にしておいたのではないか、

と思い切った推論を述べた。


じつは「保険」をかけられたのは徳川家ではなく、

皇室だったのではないか。

水戸学一党一派の徹底した勤皇イデオロギーがあったおかげで、

国難の時代に、この国は天皇家を中核とした、

近代統一国家を形成することに成功した。


薩長の武士も水戸学の思想に心酔し、これを頼りにしていた。



★コメント

あまり注目していなかった水戸徳川家。

いまいちど研究しなおしたい。


 

 

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