◆田中淳夫『山林王。土倉庄三郎』を読み解く
★要旨
・明治のはじめ、吉野山の桜を全部買い取った男がいた。
・彼は、吉野から伊勢までの山々を抜ける道を独力で開き、
全国の山を緑で覆うべく造林を推し進めた。
・さらに自由民権運動に参画し、
同志社など多くの学校を資金面で支えることに力を注いだ。
そのほか手がけた偉業を数え上げたらきりがない。
・彼こそ豪商三井と並ぶ財力を持っていた山林王・土倉庄三郎である。
吉野川の源流部・川上村に居を構えつつ、
近代日本の礎づくりに邁進したのだ。
・明治時代になると、
板垣退助、山縣有朋、井上馨、伊藤博文、大隈重信、松方正義など
明治の元勲、あるいは自由民権運動の闘士たちが、
五社峠を越えた。
・彼らが五社峠を越えたわけは、
川上村在住の土倉庄三郎に面会するためである。
・土倉家は、代々続く大山主だ。
所有した山林は、最盛期で9000ヘクタール、
県外さらに台湾の造林地まで加えると、
23,000ヘクタールに及んだ。
・山から伐り出された木材は、吉野川を下り、
和歌山から大阪、そして全国へ運ばれた。
それらが生み出す富は桁違いに大きく、
明治初年の土倉家の財力は、三井家と並ぶと称された。
・その経済力とともに、
庄三郎の信念と行動力が明治の世を動かした。
面積だけでなく、木材生産量でも財力でも
山林王だったのである。
・心に留めておきたいのは、
南朝を始めとした反体制側が一定の勢力を保てたのは、
吉野の山々にそれを支える力があったことだ。
・最近は、平地の社会に影響を及ぼすほどの
経済力を持った山里が、歴史上少なくなかった、
という研究も出ている。
・その力の源泉は、
容易に侵略できない厳しい地形や自然、
その土地で鍛えられた民と信仰、
そして山の資源などによる経済力があったからだという。
・吉野は、京都・奈良・大坂(大阪)など、
政治経済の中心地に近く、宗教勢力も根を張っていた。
・山間で修行する修験道も孤立した存在ではなく、
全国的なネットワークを築いていた。
その中枢が大峰山を擁する吉野である。
・吉野は秘境どころか、
常に中央を背後から狙う存在だったように思える。
・土倉家の力の源泉。
・巨額の金を動かすいくつものプロジェクトを
担ってきた庄三郎を支えたのは、
吉野の山々が生み出す富である。
・森林の価値は土地ではなく木材にある。
木材の価格が上がれば、土倉家の財産は膨らむのである。
・山と森から生み出された財力を利用して、
庄三郎は明治の世を動かそうとしたのである。
・林業の要は、搬出にあり。
・林業と言えば伐採。
そんなイメージが強いが、
本当に重要なのは、伐った木材の搬出である。
・庄三郎は、この点を熟知していた。
林業に留まらず、
経済とは人と物の流通が重要であることを
山深い里に住む身として体感していたのだろう。
★コメント
やはり日本の長い歴史には、
表に出てこない、おもしろい人物がたくさんいた。
学び取りたい。
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