◆小谷賢『日本インテリジェンス史』を読み解く(その2)
副題→「旧日本軍から公安、内調、NSCまで」
★要旨
・A4用紙1枚の分析ペーパー。
・日本のインテリジェンス・コミュニティの弱さは、
分析能力にあると指摘できる。
・分析とは、多くのデータや資料を読み込み、
それを簡潔な報告書に落とし込む作業である。
・資料を読んでそれをまとめるのは、
アカデミアの技術でもあるため、少なくとも分析を行うなら、
国内外の大学院で教育を受けた者が望ましい。
分析に特化したキャリアパスを設ける、
というのが理想的である。
・分析官の求められる報告書は、アカデミアのそれとは異なり、
多忙な政策部局の担当者や政治家が、すぐに目を通せるように、
できる限り簡潔な内容でなければならない。
・筆者は、情報分析で定評のある英国合同情報委員会の
分析スタッフから実務の様子を伺ったことがあるが、
数週間で膨大な資料や情報に目を通し、
最後は、A4用紙1枚のペーパーにまとめるという。
・警察や公安調査庁も国内でターゲットを定めた情報収集には
長けているが、それが国際テロリズムや経済安全保障の分野となると
途端に難しくなるのは、やはり分析業務に精通していないためだろう。
・旧陸海軍のインテリジェンス。
・日本は敗戦を迎え、その後予想された通り、
進駐軍による日本軍のインテリジェンス能力に関する調査が始まった。
・最初に調査対象となったのは、
参謀本部情報部情報長を務めた、
有末精三・元陸軍中将であった。
・じつは有末は第二部長の任にあった1945年6月から7月にかけて、
米軍の占領を見越した上で、
重要な文書を個人で秘匿していたようである。
・GHQは、日本軍のインテリジェンス能力を
それなりに評価していた。
・1949年の9月ごろから日本国内で、
適性国、ならびに共産主義勢力に対する情報収集活動、
いわゆる「竹松工作」が計画され、
有末と河辺がその責任者となる。
・1949年後半から竹松工作は実施され、
有末と河辺は朝鮮半島からインド・パキスタンに至る、
広大な情報網を作り上げた。
・戦前には外務省情報部内に
海外のラジオ放送を受信するラヂオ室が置かれた。
1946年1月に外務省から切り離され、
外務省の外郭団体「ラヂオプレス」として独立している。
・ラヂオプレスの活動はあくまでも
放送された情報を受信し、それを翻訳するものである。
ラヂオプレスの強みは、
毎日、膨大な量のニュースを日本語に翻訳し続けられる能力にあり、
これは現在まで脈々と受け継がれている。
★コメント
情報の本質は、シンプルだが、
それを地道にやり続け、マスターするには膨大な努力が必要なり。