◆田崎史郎『政治家失格』を読み解く(その2)
★要旨
・田中角栄が我々との懇談でいっていた言葉がある。
「汗も流さん、努力もしない者が当選してくるのは、おかしい。
選挙は、戦争だ。
寝ているイノシシの周りを100回も回りゃ、目を回すよ」
・努力もしないで取材対象と親しくなれるわけがない。
取材は、戦争なり。
田中の言葉は記者の仕事にも通じる。
・田中角栄からは、全生命を懸けて政治をやっている、
という気迫が強烈に伝わってきた。
それはまさに「風圧」だった。
目をしっかり見据え、正面からぶつかってくる。
・竹下登は、政治運用の天才なり。
・政治運用のため、竹下は官僚をうまく使った。
・長く国会対策の仕事にかかわった竹下だが、
国対の仕事の中心は、なんといっても
予算および予算関連法案の成立である。
・竹下は、予算をどのようにして作るのかを
一所懸命勉強し、スペシャリストとなった。
その過程で、大蔵官僚との人脈を築いていった。
・大蔵省側にとっても、
竹下はひじょうに頼りになる政治家だった。
すべての案件は竹下に通され、
難問も竹下のところに持ってゆけば、調整してもらえた。
彼は、役所の仕組みや意思決定に通暁していた。
・竹下は、誰が法案を上げた、
この役所では誰が使えるというデータを蓄積していた。
・官僚機構を動かす政治力で、
竹下登と田中角栄は傑出した能力があったのだ。
それは今、官僚を叩くことで、
点数を稼ごうとしている議員たちとは、まったく逆である。
・竹下は、長い国対経験を通じて、
野党と太いパイプを築いたのだった。
なんと野党議員の退任後の就職の世話まで、
竹下は、こまめに手当した。
・1988年、竹下内閣は消費税法を成立させる。
野党は反対しても審議には協力した。
採決も容認したのである。
その背後には、竹下が培った幅広い人脈が生きていた。
・竹下は「政治は、カレンダーだ」と教えている。
政治の動きを把握するためには、
まず日程を調べよ、と。
・竹下登は、
政治を動かすシステムを熟知した政治家だったのである。
・金丸信は、
人と人との関係を大切にする政治家だった。
風貌に似合わず、行き届いた気配りもできた。
・1995年、梶山静六は、
B4判の紙に鉛筆で書いた、政界の人脈図を作っていた。
だれと誰がつながって、だれと仲が悪いかが書かれ、
消しゴムで消しては書き、修正された。
この図面を広げ、
図上演習しているかのように、作戦の想を練った。
そして、総裁選にて、河野洋平の再選を阻止した。
・首相就任前、小泉純一郎は、
一匹狼的政治家で、政界に友人は少なかった。
・小泉は、子分とも呼べる議員もいない。
だから朝は、いつも議員宿舎で、ひとり朝食をとっていた。
・そのとき小泉は、
スポーツ新聞ばかり読んでいたのである。
「見出しの勉強をしている」
というのをある人が聞いている。
・小泉純一郎という政治家は、
若いころから「変わり者」だった。
「自分の発言に、オフレコなし」
と言っていたがオフレコでも大したことは言っていなかった。
とはいえ、政治の見方は新鮮だった。
・「どぶさらい」のような基礎固めをやれ。
・「政治の取材は、サシである」
一対一、あるいはそれに近い状態でなければ、
取材対象が気をゆるすはずがない。
・電話で取材をすませるな。
電話取材では、相手の表情や
どういう状態で話しているか、読み取れない。
話が広がらない。
・取材で身銭を切ることも大切なり。
先方からご馳走になったら、
何度か一度はこちらでご馳走することを心がけよ。
★コメント
仕事の進め方に関するヒントが詰まっている。