◆小野善邦『ペンタゴン・ペーパーズ』を読み解く
副題→「キャサリン・グラハム。わが人生」より。
著者→キャサリン・グラハム。
翻訳→小野善邦。
★要旨
・夫が亡くなり、ワシントン・ポスト紙を引き継ぐことになった。
ろくな知識もなく、自信もなかったが、
ポストを存続させなければならないという強い義務感があった。
・こうして私は仕事に着手した。
何から手を付けていいのかほとんどわからなかったので、
とりあえず、ワシントンポスト、ニューズウィーク、テレビ局、
それに会社組織そのものについての勉強から始めた。
・自分が携わっている事業や報道の世界の基本について
知らないばかりか、
こうした世界の実態についても暗かった。
実務の世界についても知識がなかった。
・ペンタゴン機密文書事件。
・1971年6月、ワシントンポストには、
結婚式の記事が一面に掲載されていたが、
ニューヨークタイムズには、もっと重大な記事が掲載されていた。
・それはタイムズ紙が独自に発掘して
掲載を始めたベトナム戦争に関する秘密文書の記事だった。
・知人の結婚式の最中、スコッティはダンと私に、
タイムズが翌日から、米国をベトナム戦争に巻き込み、
またそれを終決させるに至る意思決定の過程を
記録した超極秘文書に関する記事の連載を開始すると話した。
・文書は、「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれるが、
正式には、
「ベトナム政策に関する米国の意思決定過程の歴史」
という題名であるとも話してくれた。
・ジョンソン大統領には知らせずに、
調査文書の作成を命じたのは、国防長官ロバート・マクナマラで、
時期は1967年中ごろ、彼が国防総省を去る前のことだった。
・マクナマラは後日、調査目的は、
「学者たちに生の資料を残し、
そこから当時の真実を再評価できるようにするため」
だったと語っている。
・日曜日の朝、私はウォレントンに
タイムズの朝刊を10部届けさせた。
私たちは日曜日の大部分を費やして、
「ペンタゴン・ペーパーズ」に関する
6ページにわたるニュース記事と特集記事を熟読し、
その内容と、これが与えるであろう衝撃について検討した。
・記事の分析の結果わかったことは、
「ペンタゴン・ペーパーズ」が、
大筋においてマクナマラが言うところの目的そのものであること、
つまりインドシナ半島における米国の役割に関する
膨大な歴史的資料であり、
「百科事典的で、客観的なもの」であることだった。
・この調書は作成に1年半をかけ、
その結果として3000ページの史的記述と、
4000ページの補遺資料で出来上がっており、
全体で47巻になっていることを、私たちは知った。
・内容的には、
第二次世界大戦から、パリでベトナム和平交渉が
開始される1968年5月までの期間における、
インドシナ半島全域での米国のかかわりをカバーしていた。
★訳者、解説。
・1971年6月17日は、
ワシントンポストにとっても
グラハム夫人にとっても運命の日だった。
ニューヨークタイムズは、ペンタゴン機密文書事件で、
掲載禁止の仮処分を受けていた。
・公表すれば会社が危機に立たされる恐れがあるとし、
公表しなければ、編集現場は到底おさまらない。
彼女は決断を迫られた。
「公表しましょう」
・この運命をかけた決断が、報道の自由を守り、
ポストをいちローカル紙から全国および
世界に通用する一流紙にしたのだった。
そして彼女は新聞界だけでなく、
政財界においても一目をおかれる存在となった。
・このペンタゴン機密文書事件の経験が、
ポストにとっての最大の事件、ウォーターゲート事件を
乗り切るのに大きな手助けになったと彼女は述懐する。
★コメント
情報と報道の在り方について、今一度よく考えてみたい。